違和感という直感

テーマ:夫婦の揶揄辞典

北海道の行方不明の女児、無事保護され、本当に良かった。
どれだけ不安だったかと思うと今後の心のケアは重要ですね。
反面、普通に道を歩いていても、こういう事件は起きるのだと思うと
うかうか子供を一人で外出させるのも、不安ですし、特にその地域だけではなく
私達の身近にも、いつ起きてもおかしくないと、思うと安心できる社会は
中々期待できないと思います。

今回、私が感心したのは、通報者のタクシー運転手の勇気と判断力でした。
しかし、その判断力と言っても こうして捕まってみて、その人が容疑者(私の中では犯人と呼んでいますが)だと解るのであって、その時はタクシーに乗せた時は確実な事は解らなかったと思うのです。
記者会見で、どこで 気づきましたか?という記者からの質問で答えは一貫して「違和感」でした。
人を一杯乗せている運転手さんだから、「普通」という事を知っていて そこに普通じゃないという空気を持った人を乗せると そこはセンサーが働くのです。
ちょっと嫌味な話になりますが よく親に虐待され、近所の人の通報で家を見に行った児童相談所の職員が 「子供は寝てます」とか 「おじいちゃんの家に言っています」という親の言葉に騙され 子供が命を失う事件はよくあります。
つまり 悪い事をする人の言葉を鵜呑みにするのは どうかな、と思いますし、それよりも漂う空気感への感覚を強く持つべきだと思うのです。
もう少し 児童相談所の職員が この通報者のタクシー運転手さんと同じくらい、感覚を研ぎ澄ましていたら、児童虐待で命を落とす子供たちは減ったのではないか、と思います。
さて、今日は この「違和感」と言う物に注目してみたいと思います。
以前もコラムで書いたことがあったかな?
浮気がばれるきっかけって、「臭い(におい)」なのです。
この臭いとは 「スメル」の匂いではなく 「何か臭いぞ」という 「匂うぞ」なのです。

夫は深夜帰宅などして、同僚との飲み会とか 仕事で遅くなったとか、色々言葉巧みに言い訳しても それを嘘だと決めつける根拠は無くとも、何か匂うぞという「違和感」なのです。
何でも 結果が出たあとなら「やっぱりね」という事は言えませんが 終わらないと分からない、では浮気の場合、知った時には手遅れになります。
ですので 浮気を疑う場合、先手先手で まず疑うという事からはじめないと 何も真実には近づけません。
もしくは 何らかの事実を掴んでから それを確認するという事なら 事実の解明は出来るのですが、何かおかしいぞという正しい感覚を養わないと 何でも人の言葉に真実を求めていると、それは相手に嘘を付いてくれと言っているのと同じです。
もちろん 妻であれば夫の事を信じたいという気持ちは分かります。
でも、それがどんな時でも、信じているというのは美談過ぎて気持ちが悪いです。
夫の言動に違和感を感じ、問い詰めて、その結果、夫の言い訳を信じる。
これっておかしくないですか?
最初の違和感と言うのは 何にも邪魔されていない純粋な感覚だけです。
これを夫に詰問し、言葉で否定されるのです。
これで違和感が消えたのなら ご主人の言葉が 本当に真実か、または違和感を無理クリ打ち消されただけです。
でも、本当は違和感が消えていないのに、何となく信じないといけないという雰囲気に負けたのなら、それは臭いものに、蓋をしたという事で 臭い事には変わりはないのです。
ね、ここでも「臭い」という字が出て来るでしょ。
違和感と言うのは 本当に「臭い」のではなく、感覚的な臭さです。
違和感を持っているのに、それを感じてはいけない、または感じる事は罪悪であると思うのは 自分の感覚に正直であってはいけない、という事です。
夫婦が信じあう事は普段はいいのですが いつでも、どんな時も、と言うのでは美談ではありません。
それは何も見えていない「盲目の愛」と一緒です。
でも本当の盲目の愛は 何があっても信じるという事ですから 信じるなら夫がどんな裏切りをしていても ガタガタ言ってはいけない、という事です。
言い換えれば 盲目の愛は 疑う事も許されないというシモベになるようなもの。
今後は疑う事も許されなくなってしまうという事です。
そういう事で 私がまたもや日頃から言っている事に戻ります。
違和感を感じたからと言って それを告げるのは 危険です。
特に浮気の事は聞いて答えてくれるという事はありません。
否定されるに決まっています。
人に物を問う時には 何らかの根拠を持って それを確認するという事が必要です。
疑わしいと思ったとしても、疑いの元になっている当人に確かめるなんて ご法度です。

最近は再放送が無くなったのですが 私は相棒のドラマが好きです。
推理小説のような、びっくりするようなどんでん返しはありません。
刑事コロンボなども好きなのですが、それは 一種謎解きのような事より、先に答えが出ていて
それを白状するように犯人を追いつめて行く・・・・・・しかも 刑事ドラマによくあるような机をドンと叩いて脅かすような場面ではなく、あくまでも犯人といい関係を築きながら、真実を解明して行くそのスタイルが 私には共感できるのです。
私は大阪のおばちゃんですから 勇ましいように思われがちですが 実は争い事は嫌いです。
過去、私が結婚していた時も子供の前ではあまり喧嘩とか言い争いはしませんでした。
最初から喧嘩をしなかったと言うのではありませんが、ある程度の時期からは、言葉で問う事のむなしさを実感したからでした。
仮面夫婦と言うのとは少し違いますが 言葉というものが時には心を通わせる事になり、時には心を隠すものともなるという事が 嫌と言う程味わったからです。
そこで 色んな違和感を覚えた時に 私は質問をしないようにしたのです。
何も言葉で問わず、ずーっと元夫の背中を見続けました。
夫婦の会話はサイレントナイト言葉は建前を言えても、行動は心を表します。私が詰問をした時、元夫は私の疑いを反らすような 話ばかりをしました。
でも現実には帰って来ない日が続き、現にお金の無駄使いは増えました。
これほど、残業もして勤勉なのに、一向に給料は増えません。
サービス残業だという言い訳もありますが 会社からの評価は上がらないって何なんだろうと不思議でした。
幾ら、仕事上の接待だと言っても 会社からは評価してくれません。下がり、処分の対象になった事もあり、一時立て替えの前払いも、会社から返金された様子はありません。
こういう事を聞いても ゴニョゴニョ誤魔化されてケムにまかれます。

毎日毎日、何故なんだろうと言う疑問ばっかりに囚われ、自分の中にある違和感を打ち消すのに必死でした。
言葉は万能ではありません。
言葉で問うと、言葉で誤魔化されます。
黙って、背中を見ていたら 行動は嘘を付けません。
但し、行動と言っても 一日中追いかけまわす事は出来ませんので
あくまでも観察という事になります。
結構時間を掛けて 行動をチェックすれば 言葉以上の収穫はありますので何か行動には
パターン化された物が現れてきます。
違和感を感じたら それを夫の言葉で否定してもらうのではなく、
違和感は自分の力で検証する。
これが大事です。
自分の不安を夫に打ち消して貰いたいと言うのは 甘えです。
刑事ドラマで言うと 刑事が何の情報も持たず 犯人に
「お願い、警察は何も分からないから、人を殺したら、正直に言って」と頼んでいるのと同じです。
何の証拠も持ってないなら 警察は捕まえてはいけませんし、アリバイも崩せないなら
聞いても アリバイを掴んでないなら、事実を聞いても検証が出来ません。

つまり川魚を網で追っても、出口をふさいでいなければ、魚は逃げ放題です。
どうしても夫を詰問したい人は 事実を掴んだ後で、出口をふさいでおいて、
追い込まないと、追い込み漁はできません。
しかし 何より一番大事なのは 感覚を養う事です。
夫を疑う事に 罪悪感を持っていては、その感覚は育ちません。
疑いは罪悪という事は 何もない夫婦の場合に言えるので 総合的に考えないといけません。
先ほども書きました、金銭的な事や 時間的な事、それ以外の怪しい事が満載なのに
たった一つの「俺をそんなに信じられないのか」に 脅かされてはいけません。
そういう事で 信じる、信じないは あまり重要な事ではない。
むしろ 違和感が何故、生まれて来るのか、これを考えてみてください。
では今日はここまで。

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村越真里子
専門家

村越真里子

Re婚かうんせらぴー

最優先は夫婦の危機回避。浮気問題解決と夫婦の関係修復は分けて考えまずは離婚を回避し、その上で夫婦の修復を図ります。行動心理学を基に、今後同じ問題が起きないように予防も含め対策を練るのが使命です。

村越真里子プロは朝日新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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