夫婦は話し合ってはいけません Vol,1
2013.1.02
新年あけましておめでとうございます。
旧年中、このコラムをお読み頂いた方、また相談を寄せて下さった方、ありがとうございます。
今年も皆様の心の杖となりますよう、精進参ります。
どうか今年もよろしくお願い致します。
さて、これまで当方に相談に来られた方の多くが何らかの夫婦問題を抱え、その改善策を求めていられます。
そして その方々の仰られる事は、異口同音「どうしたらいいか分からない」と言う言葉です。
しかし、どうしたらいいか分からなくても解決手段は心で決めているようです。
それは 「話し合い」です。
これまで夫婦げんかも繰り返してこられたのでしょう。
その結果 もっと夫婦の溝が深まってしまったと感じる事が多いのだと思います。
だからこそ その溝を埋めるために 言葉を求めて来られます。
どうしたらお互いに理解し合えるか?
どうしたら自分の気持ちを解ってもらえるか?
家族として どれだけパートナーを必要としているか?
それらの事を相手に伝えるにはどうしたらいいのか、と、向き合う為の言葉を求めて来られます。
相変わらず 言葉に頼るところが多いという傾向があります。
つまり 夫婦の関係を修復するには、話し合いが一番という思い込みがあるのです。
だから自分の努力を解って欲しい、認めて欲しいという具合に、言葉によるお互いの理解の仕方を求めて来られます。
これはこの方法しかないと決めつけている事もありますが、それよりも話し合いで解決することが平和的解決だと思い込んでいるからなのです。
話し合いと言うのは お互いが「さあ、自分たちの改善すべき点を考えてみよう」と、テーブルに着いてこそ叶う願いです。
そうです、話し合いの原則はお互いが話し合いをしたいと考える事から実現します。
しかし現実は家庭内別居が始まっていたりして寝室も別。
仕事で帰ってくるのも深夜で 生活はすれ違い。
何か話をしても 逆切れで一蹴される・・・・
こんな関係が続いていても、まだ尚、話し合いで解決したいと言うのは ちょっと頑固すぎるのです。
少し、冷静に考えてみて もう話合いは充分してきたはずです。
その結果、話し合いなどではまとまらなかったのです。
「私もついつい言葉が荒くなって」という方は 元来話し合いが下手なのかもしれません。
そうです、本人は話し合いのつもりでも それは責めている言葉の連続であったり、また責められている方は、
その話し合いがしたくないから、逆切れをするのだという事を理解してほしいし、話もしたくないから
部屋を別々にして 家庭内別居で無視を決め込んでいるのです。
その部屋の扉を無理クリ開けさせる事が 話し合いの第一歩だと考えているとしたら それは平和的交渉でもなんでもありません。
そういう事で、ちょっと話し合いによる解決方法というのをちょっと頭から外してほしいのです。
つまり言葉や話などで解決できる段階を逃がしているのに 相変わらず話をしたいというのは
それはもう話し合いではなく「お願い、解って」という「懇願」でしかありません。
懇願は祈りであり、願いであります。
こうなれば話し合いと言う事を願い続ける事は 逆に行動に起こさないという事になります。
つまり行動が起こせないという消極的な解決法を「話し合い」という綺麗ごとに誤魔化しているのです。
このように書けばとても勇ましく聞こえるかもしれませんが 結局物事は神頼みでは何も解決しないということです。
相手も積極的に話し合いのテーブルに着き、夫婦の課題をお互いに解決したいと夫婦が共に願えば
話し合いも成り立つでしょう。
しかし、どちらかが話し合いの姿勢がないのなら、いえ、もうその手段は使ったあとだというなら
やはり、それは行動に表れる努力しか、物事は動かないのだと思います。
そこで年頭にあたり、下記の言葉をプレゼントをさせて頂きます。
言葉は心を決める、
心は行動となり、
行動は習慣をつくり、
習慣は品格を創り、
品格は人生を決す。