【夫婦円満調停】の意味

村越真里子

村越真里子



皆さん、連休は骨休めになりましたか?
実は 私の所へ相談申し込みが入るのは こうした連休明けや、盆、正月の休み明けが多いのです。
それは何故かというと、家族が集まるとろくな事がないという、荒っぽい私の感想です。

もちろん休みは楽しく過ごせたり、ゆっくり休養するものですが、中には日頃から夫婦の関係がギクシャクし
こうした休みには両家の親などを交え家族会議や夫婦の話し合いが行われる事も多いのです。

その結果、どうにも上手く解決できなかった方の相談が、こうした連休明けにとても増えるという事が言えるのです。

特に寄せられる相談の中に、夫婦関係の調整という調停を申し立てたいという深刻な物もあります。
また既に10回以上調停をしています、と言う方もいます。

これは俗に言う「夫婦円満調停」と言うものです。
しかし 私は法律家ではありませんので、裁判沙汰になる前に問題を解決する事がポリシーですし、そもそも法律家ではないので裁判のお手伝いは出来ません。

でも、あまりにも皆さまが調停とかを軽く口にされるので 私としては少々不安になります。
そこでまず調停の事に関して、正しい知識を持って頂きたいと思い、今日は書かせていただきます。

まず簡単なところから調停とはどのような考え方をして、どのような時に役立つのかをご説明はします。

そこでまず夫婦円満調停を申し立てるのは得策か?という質問が、ありますがそれは内容にもよります。

例えば家族が居るにも関わらず別居をして生活費をご主人が入れてくれなくなった場合は、「婚姻費用分担金請求」という
いわゆる、コンピという請求をする必要があるでしょう。
こうした事は生活を守る為に当然の要求だと思うので多いに活用すべきでしょう。

でも、夫婦で話し合いが出来ず、これからも何とか円満に過ごしたいからと言って調停を掛けたいという場合、この調停は「夫婦関係調整」という事になります。これは文字通り夫婦の関係を調整という意味を持つので必要性はありますが、調停で折り合いがつくかと言えば必ずしも期待の着地点があるという訳ではありません。
むしろ調停を掛けるという事で逆効果になるという事も有るのです。

日本人にとって、裁判所などとは一生ご縁がない人生が本当は理想です。
やはり裁判所というイメージは一般人にとっては、かなりネガティブな物です。

普通裁判所とは、夫婦関係だけでなく、社会的な問題などの多くを解決してくれるという正義の味方的なイメージもある反面、我々一般人には「裁判してまでも解決しないといけない問題」というダークな雰囲気を受けます。
夫婦関係調整としてに考えると、当事者同士で話し合いが成り立たないこじれた関係だから、裁判所で話し合おうという事になるのですが、実際夫婦において相手から裁判や調停を掛けられた場合、あまり良い気持ちはしません。
まして同居をしていて調停となると、もうそれは一つ屋根の下に住みながら、家庭内別居をしなければ気まずくって仕方がありません。
つまり調停を申し立てられるという事は挑戦状をたたき付けられたようなものなのです。
家庭裁判所の調停とは言え、裁判所であることには違いありません。
家庭裁判所で調停とは、要は合法的な夫婦喧嘩だとお考え下さい。
夫婦の場合、調停前置主義といっていきなり裁判が出来ないという法律があるので調停をするのですが
調停でキチンと折り合いが着く場合もありますが、結局は話し合いのできなくなった夫婦が家庭裁判所というところで
決着を付けると思えば、それは最終段階のようなイメージすら受けます。

また調停は調停員という第3者を入れて、冷静な話し合いをしようという事であって、「夫婦関係調整」と綺麗に表現しても正直言いますと家庭裁判所で行う夫婦喧嘩のようなものです。
普通に考えると「第3者を入れて話し合おう」という発言をした時点で、もうそれは夫婦での話し合いが成立しない関係だという事の現われです。

そして調停でも決着が付かないと調停は不調になり裁判に進む場合もあります。

もちろん一般的な刑事事件の裁判のような物とはちょっと違いますが、赤の他人の傍聴者も見物できるとしたら裁判とは一種の公開夫婦喧嘩のようなものだと言ってもいいかもしれません。

場合によっては最初から裁判を視野に置いて書けた調停であれば裁判の前の為のものと解釈することも出来る訳で、そうなると調停は消化試合のような意味でもあるのです。

だから調停と言えど、多分に裁判への繋がりも考えると「調停で話し合いましょう」と言えば円満とは程遠いものになるでしょう。
まして「裁判所で話し合おう」と言った時点で、これはもう「敵」のような立ち位置になるのです。

これを少し耳障りよく「夫婦円満調停」を申し立てたと言っても、最初から離婚申し立てというのは角が立つので
一旦は「夫婦円満」に話し合う姿勢に見せるだけで、実は調停をするという時点で、それはやはり合法的な夫婦喧嘩という戦いなのです。

そして円満を目指し離婚回避を望んで掛けた調停が結局離婚になるという場合は、よくあることで実はこじれたままでは
問題がスムーズに決らないので、とりあえず冷静に取り決めの出来る状態になろうよという事で結局は離婚へ向かっているという場合が多々あります。
これは相手に弁護士先生が着いている場合もあるとすれば、むしろテクニックという場合もあります。
と、いう事は「夫婦円満調停」と言っても離婚になる可能性も大いに含んでいるという事が言えます。

だからいくら一見平和に聞こえる「夫婦円満調停」を掛けたと言っても中身は、プチ裁判ですし、ベクトルは離婚へ向かっていることもあるのです。

これを申したてたら、どういう事になるか・・・これはもうあまり明るい答えでない事は判ります。

調停を掛けた場合の相手の気持ち、つまり「妻の心理は?」 「夫の心理は?」と問われる方がいますが物事を立場で考えるから本質が見えなくなるのです。

夫婦どちらも人間です、人としてどう感じるかと思うと「調停を掛ける」といわれた自分の気持ちを想像してみましょう。
そうすれば調停の持つ言葉の響を決して円満調停という言葉を鵜呑みにしていては危険だと判ります。

私は子どもの頃から母親にいつも言われたことがあります。
それは「自分がされて嫌だと思うことは人にしてはいけません」という事でした。
これは大人になっても、どんな事に対しても答えになり、一生の宝の言葉です。
大正生まれの母でしたが、幼い私にも判る素朴な教えを私にしてくれました。

調停という言葉に「ギョッ」とした感覚を持つのであれば、それは相手に対しても同じ事をしてはならないでしょう。

でも、もし同じ事を「目には目を」という事で調停を掛けられて、自分もという事でしたら、それはもう敵同士という関係でしかありません。だから調停をかけるという事は、夫婦円満調停とは言え夫婦は破滅に至る危険性があるという事です。

ここで調停を掛けるという意味はお判りいただけたと思います。

よく、夫婦の間において「何があったか?」を説明される時、具体的なことではなく
「色々な事」や「些細なことの積み重ね」と表現される方がありますが、これはお互いに些細な事と
考えれば何も問題はないのですが、一方だけが些細な事としか感じていないから、問題が大きくなる場合もあるのです。
小さな事が、実は大きな事なのだという事もあります。
ここが判らないと、最初は細い岩清水でも、最後は大きな川から海へと広がる事になるのです。

調停が何も悪いとは言いません。
確かに調停でだからこそ解決する事もよくあります。

でも何でもかんでも調停や裁判という事で解決しようとすると、それは思いと反対の方向へ動き出すという事もあるという事を知っておいて欲しいというのが 今日の私のお願いでした。

では皆さま、また次のコラムでお会いしましょう。

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村越真里子
専門家

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Re婚かうんせらぴー

最優先は夫婦の危機回避。浮気問題解決と夫婦の関係修復は分けて考えまずは離婚を回避し、その上で夫婦の修復を図ります。行動心理学を基に、今後同じ問題が起きないように予防も含め対策を練るのが使命です。

村越真里子プロは朝日新聞が厳正なる審査をした登録専門家です

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