期待は、諸刃の剣!?
禅の有名の問答の一つに「父母未生以前の
自己如何」というのがあります。
これは、自分の父や母が生まれる前、
あなたはどこにいたの?という素朴な
疑問です。
これをちょっと考えてみませんか?
但し、「わかんな〜い」「知らな〜い」は
NGです。
私という存在は、父と母が縁によって
出会い和合してできた存在ですよね。
そして、その父母もそれぞれ祖父母が
縁によって出会い和合してできた存在
です。
永遠に過去に遡っても、それは縁に
よって出会い和合してできた存在で
あることは間違いない事実です。
さて、話を元に戻すとでは、いったい
どこに「私」がいたのでしょうか?
私という今の存在は、過去からの
奇跡のような「偶然」の縁によって
「存在させて頂いた」のではない
でしょうか。
とは言え、即座にそれを実感できる
ものでもありませんが・・・。
いずれにせよ、過去の縁の一つでも
途切れていたら、それこそ今現在の
私は存在し得ません。
即ち、「私」という「色(しき)」は
空であるが、空であることが「私」
という色(しき)である。
「色即是空、空即是色」ということに
なるのでしょう。
自分がこの世に生まれてこられた条件は
まさに薄氷だったのは判ります
また、今まで死なずに生きてこの存在
自体が偶然の産物ということも。
しかし、自我はそれでは納得しません。
だかこそ、「考える」ことによって私
(自我)を生み出すのでしょう。
だとしても、自分は因と縁で存在して
いるのに、そんなあやふやな自分
(自我)に執着しているのは、なぜ
なんでしょうね。