感謝は返謝してこそ完成する
人間は、元々「快楽主義」です.
だから、「不快を回避しよう」と
する気持ちが強いわけです。
そいうわけで、自分に「不快」を
与えた人間を忌み嫌う傾向にある
のも頷けます。
つまり、嫌いな人=不快を与えた人
となるわけです。
しかし、自我が嫌っているその人は
本当に嫌な人なのでしょうか?
例えば、昔から色々とお世話になった
人であっても、不快な出来事があれば、
それまでの恩義は帳消しになります。
お世話になった記憶は消され、
「嫌な人」「許せないやつ」「敵」
として記憶の墓場に葬り去ることに
なるわけです。
特に、幼い子どもは感情的に判断する
ので、その傾向が強いといえます。
「私は親に愛されなかった」
「母は妹を溺愛した」など等、etc
そもそも、その記憶は、本当に正しい
のでしょうか?
自我は、たった一度であっても、強烈な
不快体験を忘れませんし、許しません。
言わば、白いキャンバスに一点の黒い
シミが付いてしまえば、そのキャンバス
(記憶)は、真っ黒に染まってしまう
可能性が高いわけです。
それは本当に本当なのか?
たまには、自分の記憶を疑ってみる
ことも大事かもしれませんね。