共感できる人、できない人の差?
アンラッキーを避け、ラッキーだけを
手に入れることは可能なのか?
時折、テレビで活躍するタレントが
突然ガンを公表し、闘病に入る
ニュースをみることがあります。
今は復活されてますが、以前歌手大橋純子
さんが定期検診で食道ガンを発見され、
歌手活動を休止するというニュースを
見ました。
大橋さんの歌が昔から大好きでした。
代表的なとこで、シルエットロマンス
たそがれマイラブ、サファリナイト、etc
そもそも大橋さんの曲が好きな理由は、
一番はその歌声です。
ところで、ヒット曲以外にもとても
好きな曲があります。
それが、「男と女」という曲です。
その曲の中に「♪悲しいけれど出会いは
いつも終わりをしのばせる♪」という
のがあります。
男女のことに限らず生きている上で、
すべてそうだなって感じます。
まさに「諸行無常」ってことですよね。
地位も名誉もお金もなにもかも掴んだと
思った瞬間から手元からこぼれおちて
いくものです。
決して永遠に留まることは絶対にない
ということでしょう。
「この現実の世界のあらゆる事物は,
種々の直接的・間接的原因や条件に
よって作り出されたものです。
そして、絶えず変化し続け,決して
永遠のものではない」ということ
なんでしょう。
また、「人間万事塞翁が馬」という話も
あります。
ラッキーと思ったことが、後々の不幸を
呼び込み。
アンラッキーと思ったことが後々の幸運を
呼び込む。
全ては事象は、縁のなせる技なのではない
でしょうか?
ところが、この縁が曲者ですよね。
人は、自分に都合のよい縁をラッキーと
呼び、喜ぶ。
そして、都合の悪い縁をアンラッキーと
呼び、嘆く。
しかし、実は「縁」には良いも悪いもあり
ません。
「縁」の真実は、「縁は計画できない」と
いうことです。
つまり、縁は恣意的にどうにかできるもの
ではないということです。
やってくる縁はどんなに避けようと思っても
やってくる。
やってこない縁はどんなに望もうがやって
こない。
私達にできることがあるとすれば、それは
やってくる縁を正面からしっかりと受け
止めることしかできない気がします。
偉人たちは、目の前で日々起こることに
一喜一憂せず、「今を生きる!」ことの
大切さを説いてます。
これを意識し、実践するためには、毎朝、
自らにこんな問いかけをしてみてはどう
でしょうか?
「今日がもし人生最後の日だったら
私は何をする」と