思い込みや固定観念に縛られてしまう危険
「見るより観ろ」と言われる
ことがある。
「見る」ということは、それは
考えることではないだろうか?
だから、考えるためには
「よくモノを見ろ」と言われる。
また、四方八方から「眺めよ」
とも言われる。
そして、武術の極意は「観る」
ことにあるといわれる。
そう教えたのは柳生新陰流だ。
「五観一見」
少々乱暴かもしれないが、要は
「見るより観ろ」と教えたのだ。
古来、この「観る」ということに
対する「こだわり」は日本文化の
根底を創ってきたと言っても過言
ではない。
この「観る」とは、「心の眼で見る
こと」を意味したのだろう。
その本質は、目で見えている「形」
だけでなく、むしろ見えてない
「カタチ」を観よということでは
ないだろうか?
こう考えてくると人生で最も重要な
技術の一つは、「モノを観る技術」
だと思う。
人間は現在に至るまで重要な分野に
多くの言葉を生んできた。
それからしても、「みる」ことの
重要さは「みる」という意味の
言葉の多さでも分かる。
「見る」・「観る」・「診る」
・「視る」・「看る」・「察る」
・「覗る」・・・etc
こうして「みて」「みる」と「みる」
という行為がいかに頭を使う行為で
あるかが見えてくる。
だからこそ、「みる」いうことは
「考えること」なのだと改めて
感じる。
さらに言えば、「みる」ことは
「生きる」ことに直結する。
「あいつは モノが見えていない」
言われ、
「あの人は ちゃんとモノを見て
いるからね」と評され、
「あたしの目を見てちょうだい」
と 迫られ、
もたもたしていれば「足許を見られ」
胸の内を「見透かされ」
腹の底まで「お見通しだ!」
といなされる。
この「みる」という技術を本当に
身につけた人は「出来る人間」と
いうことだろう。