ある喫茶店にて
コーチング、カウンセリングはもとより、恋愛、営業、果ては犯罪にまで、
アリと荒故う場面で心理学が使われています。
フロイト、ユング、アドラーと三大心理学があり、
どこをどう使うかは、使用する人次第だったりするわけですが、
私がアドラーにこだわる理由は、ざっくり言うと、そこに思想があるから。
前述のとおり、心理学は使う場面、使用方法により、他人を誘導したり、蔑めることもできます。
心理学は「科学」です。
一つの事象に対して、なぜそうなるのか仮説を立て、検証することで、実証されてきました。
「人間は、◯◯の時に、△△の行動をとる」
私たちが普段なんとなく感じてることは、ちゃんと科学的検証に基づいて実証されているわけです。
その中で、アドラー心理学は「科学であることを放棄した」と言われています。
どういうことか。
アドラー心理学には、5つの理論の土台に「幸福の3原則」というものがあります。
「人は、自己受容、他者信頼、貢献感の3つが上がることで幸せを感じる」
というもの。
この幸福の3原則を定義することで、科学ではなくなる。
つまり、何をもって幸せと感じるか、というのは一つの思想であり、
そこには科学的根拠はありません。
アドラーは、科学であることを放棄してでも、
「人が幸せになるために、私の理論理屈を使ってね」
としているんです。
なので、幸福の3原則の部分を無視した理論理屈は、アドラー心理学にあらず、ということ。
私が研修やコーチングに行かせていただいている法人事業所さんは、
介護や障害福祉の事業をされているところがほとんどです。
そして、依頼主は主に経営者や管理職の方ですが、
経営者や管理職が、スタッフさんを意のままに操るためにアドラー心理学を用いることは、アドラーの理に合わない。
経営者、管理職だけでなく、スタッフさんも、利用者さんも、関わるすべての人が幸せになるようにするのがアドラー心理学であり、
私はそんな思いでアドラー心理学を伝えています。
最近は、研修にアドラー心理学を取り入れる講師も増えてきて、
それはそれで素晴らしいことだなぁと感じる反面、
幸福の3原則が抜け落ちた伝え方をしている講義を目の当たりにすることもあり、
少し歯痒さを感じるところもあります。
まぁ、そこも否定しないのがアドラーであり、
アドラーの難しいところ。