目的論を体現する息子
同僚の1on1をしていて、あらためて「私が日ごろやっていること」を認識します。
よく、
「自分と向き合う」とか「問題に向き合う」
って言いますよね。
私の場合、もう何年も「自分と向き合う」をやっていません。
というか、
やりません。
それは、見方によっては、「目を背けている」ように映るかもしれませんが、
私としては、それもまた違います。
例えば、「自分はどう行動すべきか」を考える局面があったとして、
「自分と向き合う」というのをやると、
「◯◯しなきゃいけない」
が出てきてしまう。
「向き合う」とは、評価判断分析モードに突入するということ。
正解ありきで自分にそれを強いる形。
それがモチベーションになる人は、それでオッケー。
でも、
「◯◯しなきゃいけないのに、できない」
となる人は、「すべき」ではなく、「したい」を引き出す必要がある。
そのためには、「向き合う」ではなく、「寄り添う」が大事になる。
なので、私は
「自分と向き合う」ではなく、
「自分に寄り添う」をやります。
どんなに原因追求しても、
どんなに高尚な志をもっても、
どんなに正しい理論理屈であっても、
行動しなければ何も変わりません。
行動を起こすために、「動機」が必要になります。
「◯◯しなきゃいけない」
が動機にならない人は、
「◯◯したい」
が動機になるかもしれない。
その動機を引き出すのに必要なのは、
「向き合う」ではなく、「寄り添う」です。
自分に寄り添って、
「どうしたい?」
「どんな未来にしたい?」
と聴いてあげてみて。
実現するための行動が出やすくなるから。