空気感最優先
「グダグダ考えるよりも先に行動しろ!」
という人もいれば、
「もう少し考えて行動しろ!」
という人もいます。
なんなら、同じ人が両方とも言うこともあります。
と思えば、それを言っている人が、変に考え過ぎていたり、考えずに行動したりしています。
はたまた、
「歴史、先人に学べ」と言う人もいれば、
「既成概念に囚われるな」と言う人もいる。
世の中、真逆のことが、それぞれいかにも正解かのごとく指導に使われます。
「逆もまた真なり」
という言葉もあるくらいですから、何が正解で、何が不正解かなんてわからないですよね。
私も若い頃は、よくそんな矛盾に悩みました。
「結局、どうしたらいいの?」
一つは、「要するに、バランス」
どっちも大事であって、うまく使い分けたほうがいいよ、ってことなんですが、
その使い分けは経験でしか学べないので、考え過ぎて機会を失ったり、行動して失敗しないと、そのバランスはわからない。
これは、まさに「暗黙知」なので、いくら叱責や説教をしたところで、相手は理解できない。
暗黙知とは、言葉や図で表現が難しい知識や教養のことです。
逆の意味で、「形式知」というものがあります。
これは、言葉や図で伝えらえるもの。
例えば、ホームセンターなどで、組み立て式の収納ボックスなどを購入すると、
組み立て説明書が入っていて、そのとおりに組み立てれば完成するようになっています。
この「説明書」は、形式知。
また、自転車を購入した時に、「自転車の乗り方」の説明書なんてないですよね。
自転車の乗り方を、言葉や図で書いたとしても、そのとおりにやって乗れるかどうか、
難しいですよね。
こういう、感覚的なものが「暗黙知」だということ。
暗黙知をどう形式知に変換してあげられるか、指導者の技量によるものなので、
指導を受ける側の責任ではない。
もう一つは、「指導する側の価値観」
指導している人自身が、考えが足りずに失敗したり、よく考えて行動した結果うまくいった経験があれば、
「考えて行動する」が正解として指導するし、逆の経験をしていたら、逆の指導をする。
この指導方法だと、指導される人は、指導者を越えることはない。
自身が経験したことしか指導できないので、必然的にそうなります。
指導を生業にしている身としては、指導者を越えていってほしい。
ならば、指導者が自分のモノサシでジャッジ(評価判断分析)するのを手放したほうがいい。