コミュニケーションの目的は「○○○」があるかどうか
先日、ある放課後等デイサービスのスタッフさんが、
難しい顔をしながら質問してきてくれました。
「先生がいつもおっしゃる『相手の目線に立って、自分の言葉を聴く』って
意味がわかりません。話が通じないバカに合わせていられませんよ」
と。
昔、私は完璧な講義を目指していて、
「質問がでない」、「よく理解できた」と思われる講座設計をしていました。
今では、逆に質問大好物。
私
「Aさんはそう思うんですね。
じゃあ、Aさんが最近職場で、何か伝えた時に、
伝わってないなぁ、こいつバカじゃないかって思った時のこと詳しく教えて」
Aさん
「◯◯◯・・・(あまりにストレートだったので、ここではポイントさえも書けません)」
私
「なるほど、そんなことがあったんですね。
その時、彼には言えなかったけど、本当は言いたかったことは?」
Aさん
「ほんとにバカじゃないの?
この仕事するなら、これくらい知ってて当然なのに、
言われてもなおできないって、バカとしか言いようがないわ!」
私
「そうだよねぇー。
じゃあ、今度は、彼になりきってみて、Aさんの言葉を聞いたとしたら、
どんなこと思ってそう?」
Aさん
「うーん、難しいなぁ(まだ彼になりきれていない)
『努力はしてるんだよ、もう少しわかるように教えてよ』
かなぁ・・・あっ!」
私
「どうした?」
Aさん
「彼は、◯◯って用語もよくわかってないし、△△も知らないから、私の話が理解できないんだ。そこから教えてあげればいいんだ!」
私
「そういうことなんですよ」
Aさん
「そっかぁ。なんで今まで気づかなかったんだろう。ありがとうございました」
と、そのスタッフさんは笑顔で去っていきました。
私たちは、頭では「相手の立場、目線に立つ」をやっているつもりなんです。
でも、思考だけでやるのと、全身でやるのとでは、まったく違います。
思考レベルでは、散々相手に合わせてやっているのに、
それでもだめなのは相手が悪い、と結局自分目線の結論になります。
でも、全身レベルでなりきると、
相手の思いと、自分の思いのズレがはっきり見えてくることがあります。
私たちは日ごろ、相手には伝わらない自分目線で言葉を発しています。
ほんの少し相手目線に立って、自分の言葉を聴いてみる。
それだけで、相手の理解度も変われば、行動も変わります。