自分自身のフォーカスを変えるために
小学校3年生まで野球やってました。
と言っても、町内の子どもの野球チームで、遊びの延長くらいのことですが、
王貞治選手全盛のころ、
ゲームもまだまだ普及していない時代ですから、男の子の遊びは野球、という感じでした。
ポジションは、一応ピッチャーやってました。
子どものころですので、将来の夢はやっぱりプロ野球選手、でしたね。
断片的な記憶ですが、
当時、ある対外試合でいいピッチングをして、試合に勝ち、相手ベンチに挨拶しに行ったとき、
相手の監督から
「いいピッチングやったなぁ。ちょっと手見せてくれるか?」
と言われました。
言われるがままに手を見せると、その監督はマジマジと私の手を見ながら、
「小さい手やなぁ。野球はやめといたほうがいいで」
と言われました。
当時の私には、その言葉がとてもショックで、その日以来野球を辞めました。
時は経ち、高校のときに、ある機会で、野球の試合に出ることになり、
昔ピッチャーをやっていたという話から、その試合のピッチャーを任されました。
最初は好調にバッターを抑えていたんですが、
終盤、相手チームの4番を迎え、渾身の力を込めて投げたストレートを場外ホームランされました。
そのグランドは通常よりもかなり広くて、今まで誰一人、現役野球部でも場外まで打球を飛ばしたことはないそうです。
そんな球場で場外ホームランになるほど、私の投げるボールの球質は、それくらい軽いということ。
野球のピッチャーは指が長いほうが、指がボールにかかりやすく、より多くの回転を与えられるので、
回転数の多いボールほど、バットに当たっても飛びにくい。
なので、手が小さく指の短い私は、ピッチャーには向いていない、ということ。
小学生のころに「野球を辞めたほうがいい」と言った監督さんは、それが言いたかったんだと思います。
小学校3年生で野球を辞めた太田英樹少年にとって、その監督は
「僕から野球を奪った酷い人」
でしたが、高校生になって、自分の球質の軽さに気がついた私には、
「誰よりも早く軌道修正してくれた恩人」
に変わったんです。
事実や起こった出来事は変わりませんし、その監督の真意もわかりません。
でも、その事実をどう受け止めるか、どう見るかは変えられますし、自分で決めることができます。
目の前で起こっていることを、
「なんでそんなことをするんだ!理解できない」
と見るか、
「私にはわからない思い、価値観、考え、事情があってそれをしているんだね。ありがとう。その思いをシェアしたくれたらうれしいな」
という思いで見るかは、自分で決められる。
どうせ選べるなら、自分も周りもイイ感じになれる選択をしたほうがいい。