桜の季節に想う ~ どんな寿命にも永遠はない ~
世の中には、絶えず周囲と摩擦やいさかいを起こしながら敵を作り、戦いを挑むことを好む人がいるようです。無用な敵を作り上げて争いを起こしたところで双方が傷付き犠牲を払うだけであり、決して誰も幸せになるわけではないのに、と捉えているのは私ひとりではないと思っています。
そういえば、最近は私の事務所にも『遺産分割調停の勝ち方を教えてほしい』『遺産相続では負けたくない』という相談が寄せられるようになりました。もちろん、お気持ちとしては分からなくはないのですが、そんな残念な考え方をしてしまう方をひとりでもなくしていかなければならないと、改めて気持ちを引き締めなおして業務にあたっていく所存です。
いつもお話していることですが、人が亡くなるとその瞬間に相続が発生します。そして、遺言が残されていない限り誰が何を相続するかの話し合い、いわゆる遺産分割協議をしなければならないのですが、
当事者だけでこの話し合いを冷静に進めることができる方は少なくなる一方であり、ここ数年で家庭裁判所に対する遺産分割調停の申立件数は1万件を超えるようになっているのが現実です。しかも、その大半は相続財産と言っても土地・建物とわずかな預金だけであり、かつ遺産総額も2000万円以下だというのですから、もはや相続トラブルはお金持ちだけに起こるものではなく、ごく一般の庶民の間でもいつ起こってもおかしくないということが数字上も証明されていると言えるでしょう。
確かに、低迷する経済情勢や将来への不安、それに加えてちょうど相続が発生する40~50代と言えば子供の教育費や住宅ローンなど、人生のうちで何かとお金が必要となる時期と重なります。そんなときに、ある程度まとまったお金を手にする機会が相続なのです。介護や看護などこれまでの経緯や事情はもちろんですが、誰がお墓を守っていくかという将来への負担なども相まって、冷静な話し合いが難しくなるのも無理のないことなのかもしれません。
しかし、遺産分割協議を相続人全員が満足するための場ではなく、相続人全員が負担と不満を少しずつ引き受ける場と捉えることができれば、必ず当事者の話し合いによって速やかに円満に解決できる、と私はこれまでの業務の経験から断言できます。
そのためには、残された相続人が負担と不満を少しずつ引き受けやすくするための『指針』(ガイドライン)が必要であり、それは①どうやって残された財産を分けるのかという視点とともに、②どうやって負担や不満を引き受けてもらうかといった両方の視点が加味された遺言書を残すことに他なりません。相続を勝ち負けの場としてしまうのか、それとも負担と不満を少しずつ引き受けあう場にすることができるのかは、実はあなたのちょっとした思いやり(遺言)にかかっていることを知ってほしいのです。
これからも私は、遺言者の想いと家族の願いが理解できる法律専門職として、ひとりでも多くの方に『残された家族が争わないための想いを伝える遺言書』のご提案をし続けていきます。