桜の季節に想う ~ どんな寿命にも永遠はない ~
今月は、3年に1度の参議院議員通常選挙が施行される予定です。年金・雇用・少子高齢化など山積する問題の抜本解決に向けた努力をしているとは到底思えないばかりでなく、国民生活そっちのけで相変わらずの離合集散と足の引っ張り合いをしている姿を見るたびに情けない気持ちになってしまいますが、先人たちが血のにじむような努力の末に獲得した普通選挙権を決して無駄にすることのないよう、自分の頭でしっかり考えて選択をしなければならないと考える次第です。
この国は、戦後右肩上がりの成長が続いてきました。そんな時代であれば、政治家は『利益をどうやって分配すればよいか』だけを考えていれば務まりましたが、国内産業の大半が成熟して少子高齢化が進んだ現代では、政治家は『どうやって負担を引き受けてもらうか』を国民に丁寧に説明し理解と協力を得る必要が出てきました。
この問題の解決は決して先送りできない、そう考えた私たち国民は、何年も前からあえて国会議員たちに『ねじれ』という試練を課し、与野党の利害の壁を超えて、お互いが真摯に胸襟を開き妥協と譲り合いを重ねながら国民の理解と協力を得られるような合意形成を望んだのですが、残念ながら大半の国会議員には理解できなかったようです。
そんな、『どうやって負担を引き受けてもらうか』のお話ですが、実は国会だけに限ったことではなく、私たちが人生の締めくくりを迎える看取りや相続の場面においても、実は大いにかかわってくる問題であることをご存知でしょうか。
長引く不況や少子化の問題は、何も政治の世界だけに限ったことではありません。現代の40代から50代の方々は、誰しもが自分の生活で精一杯です。親の介護や医療における費用負担だけでなく、お寺との付き合いやお墓を誰が守っていくかなどの『誰にどうやって負担を引き受けてもらうか』についての問題は、もはや相続の問題とともに避けることができなくなってきているのです。
だからこそ、ぜひ元気なうちから、残された財産をどうやって分けるかという問題とともに、誰に中心になってやって負担や不利益を引き受けてもらうかについて、少しずつでもいいですから家族と話し合いを始めてみましょう。
『縁起でもない』あるいは『うちの子供たちに限って』と言ってしまうことは簡単なことですが、それでは山積する問題を正面から受け止めずに先送りしている政治家と変わりません。あなたがこの世を去った後で、あなたの相続人が利害の壁を超えて、お互い真摯に胸襟を開き妥協と譲り合いを重ねて、全員が少しずつ負担と不満を引き受けあうような合意形成ができるかどうか、それはあなたのちょっとした思いやりと配慮にかかっていることを知っていただきたいのです。
これからも私は、高齢者の想いと家族の願いが理解できる法律専門職として、ひとりでも多くの方に『元気なうちから老後の準備を始めること』のご提案をし続けていきます。