桜の季節に想う ~ どんな寿命にも永遠はない ~
突然の衆議院の解散により、暮れも押し迫った年末に総選挙が行われることになりました。国民生活などそっちのけで相変わらずの離合集散と足の引っ張り合いをしている姿を見るたびに情けない気持ちになってしまいますが、先人たちが血のにじむような努力の末に獲得した普通選挙権を決して無駄にすることのないよう、自分の頭でしっかり考えて選択をしなければならないと考える次第です。
それにしても、近年の政治あるいは政治家の質の劣化は怒りを通り越して、もはやあきれるしかないくらいのひどさです。世界でも例をみないほどの少子高齢化が急速に進んでいることは否定しがたい事実であり、年金や医療・介護、さらには子育てなど待ったなしの問題が山積しています。高度成長期のような人口も歳入も右肩上がりの時代はとっくに終わり、これからは人口も歳入も減少し続けることは間違いありません。だからこそ、これからの政治家は『利益をどう分配するか』ではなく、どのように『負担や不利益を引き受けてもらうか』を正直に話すべきなのです。それなのに、いまだに国土強靭化などと言っている政党や、自らが生きているかどうかも分からない30年後に原発を廃止などと言っている候補者を見ると、『無責任な先送りはいい加減にしてくれ。せめて自分たちの任期である4年間で、これだけは絶対に責任を持ってやるということを3つでいいから言ってくれ』と言ってやりたくなるのは私だけではないと思っています。
そして、このことは私が携わっている相続の場面でも同じことが言えます。いつもお話していますが、人が亡くなると同時に相続が発生し、遺言がなければ法定相続が原則となります。相続人全員で誰が何を相続するかの話し合い、いわゆる遺産分割協議をしなければならないのですが、多くの場合は法定相続分を目安に話し合いをしても、残念ながら話し合いがつかずに相続人同士が激しく対立してしまう事例が急増しているのです。
確かに、相続といえば『財産をどのように分けるか』が大きなテーマとなるのであろうと誰もが考えてしまうことも無理のないことかもしれません。
しかし、長引く不況や少子化の問題は何も政治の世界に限ったことではなくなっています。誰しもが自分の生活で精一杯で、親の介護や医療における費用負担はもちろんですが、お寺とのお付き合いやお墓を誰が守っていくのかといった『負担や不利益をどうやって分け合うか』についての問題が、実は相続の場面でも避けることができなくなってきているのです。
だからこそ、あなたがこの世を去った後で、残された家族が不毛な争いを起こさないためにも、ぜひ元気なうちから、残された財産をどうやって分けるかという問題とともに、誰に中心になって負担や不利益を分け合ってもらうか、家族と話し合ってみましょう。
『縁起でもない』あるいは『うちの子供たちに限って』などと言って片付けてしまうのは簡単ですが、そうすることは無責任な先送りをしている政治家と変わらないのではありませんか。心身ともに元気な時だからこそ、あなたのこれまでの人生を振り返りながら想いや考えを伝えることができるのです。帰省や年始などで家族と接する機会が多くなるこの時期だからこそ、ぜひ現実から逃げたり無責任な先送りをしたりせずに、じっくりと『家族に迷惑をかけないための最期を迎え方』について話し合ってみてはいかがでしょうか。