桜の季節に想う ~ どんな寿命にも永遠はない ~
一年で最も寒い時期である節分とはいえ、例年にない寒さや積雪が続いています。個人的なことを言えば、冬はどちらかというと好きな季節ではあるのですが、それでも連日の寒さに少々困惑して春の訪れを待ち遠しく感じている次第です。
何かを待っているときなどは時間が経つのがとても遅く感じるものです。しかし、冷静に考えてみれば、ついこの間新年を迎えたばかりだと思っていたのに、早いもので1か月が過ぎてしまい、1年の12分の1が終わってしまいました。年を重ねるごとに時間が経つのがものすごく速くなっていると感じているのはきっと私ひとりではないと捉えています。
この点、相続・遺言相談業務に携わっていると、往々にして『決められない人』に出会うことが度々あります。
たとえば、最近では自分の亡き後の財産をどのように分けるかといった問題にとどまらず、葬儀のあり方や、余命がわずかになった時にどのような治療・ケアを受けるかといった問題についても要望を持たれる方が増えてきました。
しかし、そういう要望をお持ちの方に対して、『遺言』をお書きになることをお勧めすると、たいていの方は、『まだ早いのではないか』あるいは『状況が変わるかもしれないから少し様子を見ようと思う』とおっしゃいます。そして、今すぐ書かなくてもそのうち書けばいいだろうとなってしまい、結局は書かないというパターンになってしまうようです。
確かに、遺言を書くということは自らの人生の終焉をイメージする必要があるのかもしれません。宗教観や世界観の問題ともかかわってきますので、必ず書かなければいけないなどというものではないのは当然のことです。
しかし、自らの要望を黙って心の中にしまっておいても、残念ですが誰にも分かりません。分からないだけならまだいいのですが、人によって様々な感じ方・捉え方があることから相続人同士で不毛な醜い争いとなってしまう『相続トラブル』が急増しているのが現実なのです。
思うに、自分自身の要望を実現するためには、時間と手間と費用を惜しむことなく、自らの意思をきちんと表明して、かつそれらが確実に実現されるような手段を講じておく必要があります。
とすれば、人まかせや先送りといった姿勢では要望など実現できるはずもなく、自らの問題であることをしっかり認識して、自分の頭で考えて自分で結論を出すことが求められるといえるでしょう。
それと同時に、考えて結論を出すための期限を設けるということも必要になります。なんとなく考えているだけではどうしても時間ばかりが経ってしまい、そのうち考えることを忘れてしまい、結局結論が出ないということになりがちです。例えば、1週間ないし10日間、あるいは1か月でもいいでしょう。きちんと期限を区切って遺言を書くかどうか、お考えになってみてはいかがでしょうか。
私は、『そのうち書こう』とおっしゃってた方が突然亡くなってしまい残されたご家族が大変なトラブルになってしまった事例や、『まだ早いな』とおっしゃってた方が認知症になってしまって同居のご家族が『相続トラブルになるのではないか』と不安な状態になりながらもいつまで続くかわからない介護を続けている事例を見てきました。時間が経つのは思いのほか速いものです。そのうち書こうと思っているなら、もしかしたら今日がその日かもしれません。遺言を書くにあたっては、決して早すぎるということはないと自信をもって断言できます。
そのためにも、私自身もすでに遺言を書いています。弊事務所においでいただければ、私の遺言原案をお見せしながらあなたにとって最良の遺言とするにはどうしたらいいか、惜しみなくすべてお話しをさせていただきます。
これからも私は、遺言者の想いを理解できる相続・遺言の法律専門職としてひとりでも多くの方に『元気なうちに遺言書を書くこと』のご提案をし続けていきます。