解消しなければいけないという適応を手放した時に、問題から離れられるでしょう。
乳児期に親や養育者の瞳を通じて、私たちは「祝福される自分」という存在、「自分という存在」に関して確認を得るのでしょう。
同時に、このときは親や養育者もまた、乳児から「祝福している自分」という存在、「この子を守る自分という存在」というかけがえのないものを得ているのです。
このような原初的な関係性がうまくいかないときに、乳児は「自己の存在」を確認し損なうことになってしまうかもしれません。
そうした事態を体験された人々は、大人になるにつれ、
「私は、ほんとうは誰なのだ?」
「居場所がわからない」
「親密な人間関係を紡ぐのが難しい」
という疑問にとらわれるかもしれません。
そして、疑問を解消するために、他者や外部世界、または物質にはまりこんでしまったり、他者の中に「母や父のまなざし」を発見しようと焦り、出会った相手を理想化しては裏切られ、傷ついてしまうかもしれません。
人生早期の基底共依存は上記のことに関連しています。前者を共依存(物質依存、電子情報機器依存、買い物依存、ゲーム依存、ネット・ビデオ依存、後者を関係性依存、恋愛依存と呼んで、カウンセリング・ワークの対象としていきます。
これらを精神的変化や成長のための「表現型」のひとつとして、治す、解消するというよりも、あなたの能力として成熟させていくといったアプローチをとるのです。