論文:ACを対象としたゲシュタルト療法の臨床的な拡張事例
アルコール依存と依存「症」の関連について、その1,その2と、自然な「依存」関係が、依存症に変化する過程について考察しました。
今回は、依存症の自己治癒の側面と依存症アプローチについて考えてみたいと思います。
自分の内面にある、たとえば、「さみしさ」をスリカエようとして、アルコールを飲む。
しかしながら、そうせずにはいられなかったわけですから、
自己治癒の側面もあるわけです。だから、やめられなくなる。
でも、スリカエているわけですからいつまで飲んでも「さみしさ」は癒やしきれませんね。ついには、誰にもわかってもらえないばかりか、自分の気持ちもわからなくなって破綻することがあるわけです。
なので、逆説的ですが、本人が、
今度こそやめよう、私はやめようと思えばやめられるんだ。
家族に申し訳ないから、
応援してくれている周囲に申し訳ないから、
お酒をやめて以前の私を取り戻そう。
と意志の力(自分やめられる)を過信している過程では、残念ながら、お酒をやめることはどんどん難しくケースが多いのです。
また、「家族や周囲が応援する、サポートする必要がある」ような一般的なコメントを聞くことがありますが、
本人にとっては、
家族や周囲に期待(お酒をやめること、以前の自分にもどること)されている
→やめなくてはいけない→迷惑をかけてはいけない→ひとりでなんとかしなくてはいけない
→(しかし、内面深くには、スリカエられている「さみしさ」と誰にもほんとの自分をわかってもらえない気持ち)がずっとあるために、。
→やめようと必死になる→周囲に見せている自分とほんとうの自分のギャップに苦しむ→やめようとすることの失敗(飲酒、酩酊)→やめようと必死になる→周囲に見せている自分とほんとうの自分のギャップに苦しむ→やめようとすることの失敗(飲酒、酩酊)→この繰り返し。
に陥ることになります。
つまり、誤解を恐れずに書きますと、臨床的には、周囲や家族がやめさせよと期待すればするほど、その期待の圧力で本人はやめることに失敗し続け、トラブルが続くケースが少なくないのです。
この臨床的なAC、依存症アプローチの概念を、ご家族や周囲の方が理解することはなかなか辛いことです。だって、ずっとお応援してきたのですからね。
AC、依存症アプローチの概念では、ます、このダイナミクスをご家族にご理解をいただくことからカウンセリングがはじまります。
そうすることで、本人は、「私はもうひとりではやめることができない」と意志の力の過信の無力さを認め、ほんとうの助けを求めることにつながるわけです。