アルコール依存と依存「症」の関連について臨床的なミニ考察
お酒とは、
適度な関係性であれば、人生の潤滑油や醍醐味として体験できる側面を持つと言えます。
前回は、「依存」とは、自然な関係性であると述べました。
それではどのような過程を経ると、依存→依存症に、変化するのでしょうか?
精神科医の斎藤学は、依存症とは、本人の心身・思考の働きを制限、停止することで、擬似的な平穏をもたらし、「ほんとうの自分の問題」(人間関係の葛藤)への直面をとりあえず、先送りできるというメリットがあるからだと述べています。
たとえば、ほんとうの自分自身とは「さみしさ」を感じているのに、
「さみしさ」とは、かっこ悪いものだ!ださいものだ!イケてない!
という取り込みに翻弄されていることに気づかないでいると、
自分自身を隠して、他者と良くつながりたいと頑張りすぎてしまうかもしれません。
仕事場や学校で、一生懸命にがんばって、
家に帰り、ひとりになると、ヘトヘトに倒れ込んでしまう。
でも、ひとりになると浮上してくる「さみしさ」を感じないようにとますます邁進します。
こういう状態を、自分を失っている状態といいます。
この状態では健全な自己愛が育まれず、その結果、自己肯定感が低くなり、他者に承認されたい感情が肥大して、ますます、がんばってしまうかもしれません。
どれだけがんばっても「さみしさ」は埋まらないのです。同じように、
どれだけお酒をのんで、「さみしさ」を「スリカエ」ようとしても、もともとの、さみしさ、不安などを解消することはないでしょう。酩酊すると、いっときは忘れられるかもしれないが、これを、「スリカエられた充足感(興奮や麻痺)」と呼びます。
でも、すぐに、もともとの「さみしさ」、不安がやってくるので、また飲まなくてはいけなくなる。
こういうように経過して、いっときのスリカエられた充足感を求めて、意識ではやめられない依存症に発展するかも知れないのです。
スリカエられているので、やめられないんです。
ACカウンセリングでは、「スリカエ」する行動を無力化するアプローチをするのです。