コロナ禍、子どもの問題行動への家族療法のとりくみ
どうしてACとは生き延びるの力なのか?
このことを研究対象としたのは、私が開業カウンセラーとしてずっとクライアントさんの変容プロセスを目撃してきた体験からだ。
ACの自覚あるなしにかかわらず彼ら彼女らからは、元家族との関係性が由来する、複雑で目に見えにくい傷つき体験が語られた。
私は面接室の椅子にすわり、クライアントさんの絞り出されるような言葉を聞き、あるいは、凍りついた記憶の断片を目撃しつづけた。
その言説や文脈に、かじってきた人間理解のための臨床心理学理論や技法などは粉々に吹き飛ばされた。
私は自身の無力さに苛まれ、愕然とする日々が続いた。
一方で、時間の経過とともに彼ら彼女らは、自身の生き延びるために使ってきた共依存関係を特定しはじめると、堰を切ったように失ったものを嘆き、怒りをあらわにした。
当然だ、無理もない。私は、彼ら彼女らの怒りの表出に安堵する自分に気がついた。
彼ら彼女らは、傷ついたと同時に生きることへの純粋で強い力を持っていた。
数年を過ぎるころ、会話は自身の存在意味などの実存的な課題について推移した。
「いままでの人生で、私は何をしてきた?」
「私はいったい誰なんだ!」
「親に激しく怒りが湧く、どうしたらいい?」
「これまでの苦闘がトラウマ反応だったのはわかった、これからはなんとかするよ。でも、これからどうやって働いていけばいいのかわからない」
「私の居場所はどこにあるの?」
「生きていく意味がわからなくなった」
AC:つらい言葉がつづくけど、なんだか涙が流れてきました。(涙)
Co:カウンセラーもそのような気持ちになる。生きる勇気をもらった気持ちになり、心の底から感激する。
AC:え?そうなんですか?
Co:彼ら彼女らが、生き延びるために使ってきた力が、自分自身の探求と自覚に向かい始めたのだ。そのこころの力動に面接室で身体が震えることもある。
AC:カウンセラーってただ、黙っている人かと思ってました。
Co:クライアントさんの勇気が、カウンセラー自身に変化を迫るんだ。そして、その受容がクライアントさんのトラウマとの関係性に変化をもたらすんだ。
私はACのカウンセリングという仕事を続ける中で、私自身の中にも私なりの生きる力があるのだと知った。そして、生きづらさ、人間関係の悩みや苦しみなどは、治癒される対象であるだけではなく、ほんとうの自分を見つける流れにつながるのだと体験した。
Co:だからカウンセラーが平気なふりしたり、威張ったり、知識で防衛しているとカウンセリングはうまくいかないし、カウンセラーは成長しない。
AC:へー。
Co:私はを自分の課題に自覚を向け続けるクライアントさんの力によって、カウンセラーとしての研鑽を積んでこれたのだと断言できる。
ACの生きる力とは、彼ら彼女らが生き延びるために使ってきた力を自分自身の探求と自覚に向けること。