勉強が嫌いだ
NHK あさイチ「いま“親として”向き合う不登校」を見ました。
一般論としてとてもよくわかりました。
ただし、個々の事情が異なるため、当てはまらない事もあると考えることも必要です。
子どもの発する「学校へ行きたくない。」の言葉を受け止める時、親は、自分の価値観に照らし合わせて、反応します。
それが、「学校へ行きなさい。」「学校へ行ってほしい。」などの声となって親の願いを子どもに伝えることもあります。
逆に番組を見たから、「休んでもいいよ。」と子どもに安直に声をかけることでもないと思います。
「不登校と向き合う」という事は、実は、「子どもの心との向き合う機会」になります。
子どもが口に出して発する言葉を、言葉通りに受け止めるだけでは、子どもの心と向き合うことにはなりません。
私たち大人でも、自分の思いを素直に口に出すことをためらい、相手を傷つけないように誤魔化して話す事があります。本音に気づかれないように嘘をつくこともあります。
言葉だけではで、本音は分かりません。
「学校へ行きたくない。」という言葉は、本音ではないかもしれません。
学校を休むことで、普段の生活はできません。休んだ子どもへの対応、自分の仕事や生活への影響なども出てきます。
その意味では、この言葉は、親に強烈な一撃を与える言葉になります。
休む子どもを放っておく事はできず、逃げることのできない状況を子どもから与えられたことになります。
これは、「私と向き合ってほしい。」と訴えている子どもの心の声の反映になります。
それぞれの家庭の状況や子どもが置かれている状況によって、本当に伝えたい事は、子ども一人ひとりによって異なります。
もしかすると、「私の側にいてほしい。」のかも知れません。
もしかすると、「私を理解してほしい。」のかも知れません。
もしかすると、「私を守ってほしい。」のかも知れません。
もしかすると、「私を大事にしてほしい。」のかも知れません。
子ども自身、学校を休むと体を張って訴えているのですから、親も体を張って、子どもと真摯に向き合う事になります。
「この子は、一体、何を訴えているのだろう。」と子どもの一挙手一投足に着目して、探り続けることになります。
誤魔化しは、通用しません。誤魔化していれば、それを察知し、休みを長引かせ、子どもは、抵抗します。
子どもとの会話を増やすことになるかも知れません。
子どもと一緒に活動することになるかも知れません。
子どもと触れ合うことになるかも知れません。
子どもと自分が同一化していると、なかなか見えてきません。
一人の対等な人間同士として、向き合うことで、見えてくるかも知れません。
そして、子どもの心と向き合うことで、自分のあり方を見つめ直す機会になるかも知れません。
長い人生のほんの一瞬です。
必ず、この機会は、子どもにとっても、親にとっても、今後の人生に役に立つ、大切な時間になります。
一人で悩んだり、苦しんだりせず、他者を頼ることで、視野を広げて、向き合ってほしいと思いました。