決断すること

須田敏男

須田敏男

テーマ:子育て

 先日、安部総理大臣が辞任を表明しました。
 道半ばにして、総理をやめなければならなかったことは、きっととても辛かっただろうと思います。
 健康上の理由で、やむを得ないとは言え、決断の理由は、国民への配慮でした。

 願いの実現に向けて取り組むことは、誰にでもあります。そして、努力しても、その願いが叶えられないと決断することは、とても辛いことだと思います。
 
 判断には、いろいろあります。

 ・よいか悪いか        (意思レベル)
 ・損か得か          (思考レベル)
 ・合理的か非合理か      (思考レベル)
 ・好きか嫌いか        (感情レベル)
 ・気持ちがよいか悪いか    (身体レベル)

 場によって、判断レベルが異なりますが、いつも同じレベルで判断していることはありません。私たちは、場に合わせてうまく判断をしていると思います。

 今回の安倍総理は意思レベルの判断だと思います。

 置かれた立場や姿勢によっても、判断レベルは、異なりますが、その人らしい判断レベルの傾向があります。

あなたは、どのレベルで判断することが多いでしょう。
 自分の判断レベルの傾向は、生き方に大きく影響します。

 好き嫌いや気持ちのよい悪いでの判断が多い・・・刹那的?感情的?
 合理的か非合理的、損得での判断が多い・・・・・論理的?理屈っぽい?

どのレベルの判断がよいとか悪いとかというものではありません。
また、慣れ親しんだ判断の仕方を変えることは、なかなか難しいものです。

あなたの判断レベルを振り返えることは、自分を知るよい機会になります。
この機会に振り返ってみてはいかがでしょう。

 他人にどう見られるか。 (損得ですから、思考レベル)
 ~あるべきだ。     (合理性ですから、思考レベル)
 ~することが、役立つ。 (よい悪いですから、意思レベル)

 この判断レベルが子育てにも現れます。

 お子さんの成長とともに願いも変わってきます。その時々に願いをもって子育てをしますが、願いを諦めなければならないことも多いと思います。
 そんな時の決断が、どのレベルの判断なのか、じっくり見つめることが重要になります。
 ・お子さんが嫌がっているからあきらめる
 ・お子さんが損をするからあきらめる
 ・お子さんに悪い影響があるからあきらめる
 ・お子さんに合っていないからあきらめる
 判断が正しかったかどうかは、過ぎてみないとわからないことが多いと思います。しかし、判断を下す時は、自分本位になっていないか、誠実だろうか、お子さんの将来に役立つか、など心がける必要があります。

 なぜならば、お子さんが、自分の意思で判断できるようになるまでは、親の判断レベルを真似ることになるからです。つまり、あなたの判断がお子さんの判断レベルを養っていることになります。
(だからと言って、自分を追い込むことではありません。試行錯誤の連続です。お子さんに合わせながら、判断力を磨くことになります。失敗は学びです。失敗を恐れることではありません。その生きざまこそが、お子さんに伝わります。)

 日常生活では、判断レベルを意識することはほとんどありません。しかし、常に私たちは、行動を決めるときに必ず判断しています。無意識のうちにしています。
 これが、無意識のうちにお子さんに伝わっているのです。
 だからと言ってあきらめることでもありません。少し意識するだけで、今までとは違った対応ができるようになります。

 感情的になっていると、感情的に判断することが大事だということがお子さんに伝わっていきます。
(育てなければならないのは、感情レベルの判断だけではありません。)


 無意識的に子育てをしていることの方が、意識的に子育てをしていることよりもはるかに多いのが私たちの日常です。

 その意味からすると、日常生活の自分の言動に気をつけながら、自分を磨くことが、子育てに大いに役立つことがわかります。

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 最新の脳科学をベースにした「NLP心理学」を生かし、家庭への支援から働く人への支援と支援の範囲を広げ、悩みを持つ人の相談活動や企業向けの研修などにも幅広く対応。

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