人生の苦難からも学ぶ姿勢が人間的成長を促す
オートパイロット現象
かねての支援活動の中でも、第三者の介入が始まり、まさに本人に変化が
現れだしたとき、親がその変化を留めようと障壁になる場合があります。
これを〈オートパイロット現象〉と言います。
ひきこもりの状態から変化が始まろうとすると、これまでのひきこもりの
元の状態に自動的に戻そうとしてしまう現象です。
わが子がひきこもっていることがあたりまえ、自然な普通の状態となって
しまっているのです。
そこから外れると自動操縦(オートパイロット)で元に戻すのです。
もちろん、親にはその自覚はありません。
だからこそ、怖いのです。
これはひきこもり者たちも同じなのですが、変化へのためらい(抵抗感)です。
それがどんな状態であれ、通常(あたりまえ)から変化が起こると、強い違和感や
不安を感じ、慣れ親しんだ状態に無意識に戻ろうとするのです。
解決を願いながら解決を妨げる矛盾
実は“ひきこもり”という現象は、親と子の共同作業によって長期化するのです。
つまり、わが子がひきこもり、
「思うようにならない」
「親亡き後この子はどうなるだろうか・・・」
と苦慮している親自身が、長期化に一役も二役もかっているということなのです。
ひきこもりが長期化してしまって、自分たち亡き後のわが子の生きていくすべ、
生きる糧を案じているその親自身が、その長期化に一役も二役もかっている
という事実について、少しお話ししてみましょう。
わが子が不登校なり、ひきこもりとなってしまった場合、やはり育てた
自分たちに、何か落ち度があったのではという反省心が出てまいります。
ですが、具体的に何がどう適切でなかったかというのは、よく分からない
部分ですので、「甘やかし過ぎたのか」「厳しすぎたのか」といった
ぐらいでしか振り返れません。
でもどこかが誤っていたのだろうということで、自責感から自分を責めて
しまうところがあるのです。
生真面目なタイプの親御さんほど、時には自虐的とも思えるほど自分を
責め立ててしまっている場合があります。
しかし、ここが危険なところなのです。
自分を許さないという態度は、罪悪感を幾分和らげるという効果があります。
これは、何か周囲に迷惑をかけ、反省しなければならないような場面で、
平気な顔をしていられるかを考えてみると分かると思います。
自分を責めることで、逆に周囲に対する負い目を軽くすることができるのです。
つまり、わが子の苦悩の解決よりも、自身の感情処理を優先させてしまう
ということです。
これは、誰にでもありうる人心の弱さ、悲哀といったものでしょうか。
どんな行為でも、何らかのメリット(ご利益)があるからこそそれを行うのです。
しかし、自分を過度に責めれば「もう親としての資格がない。この子に
何も言えないし、何もさせられない」と言って、その通りに、何も言わず、
何も働きかけをしません。
そしてあたりまえですが長期化です。
メリットも有れば、必ずその裏にデメリットもあります。
メリットとデメリットと、どちらが大きいかを考えてみるべきです。
長期化を防ぐための手立ては?
またさらに長期化の誘引となってしまうことは、自分がわが子に対して、
誤った対応をしてしまったと過度に自戒してしまうと、償い、もっと言うと
あがないの行動を取り始めてしまうことです。
わが子をひきこもらせってしまったと過度に反省しすぎると、何かで償おう
とします。
親としての償いで最も形として現れやすいのが、
「世話をする」という行為です。
自己犠牲的なあがないを始めます。
ルームサービスよろしく毎回の食事を部屋の前にもっていったり、住居を
別に借り住まわせ、そこに食事を運ぶといったことを延々と繰り返したり、
毎月10万円以上の仕送りをしてひきこもり生活を支えるといったことです。
このように、親自身は自覚がないまま、不登校、ひきこもりを長期化させ、
ニート状態を容認してしまう結果となります。
そして、「ひきこもりのわが子を残して、死んでも死にきれぬ」と
アンビバレンスな状態に陥ってしまうのです。
病気や障がいで本当に動けなければ別ですが、一生人との関わりをもたず、
社会へ参画することもなく終わる人生を支えることが償いになるのでしょうか?
長期化(8050問題)を防ぐ最重要ポイントは、
「長期化を招いている当事者(張本人)は両親である」という親の自覚です。
これは同時に、親次第で止められるという事実(希望)を示していることに
気がついてください。