福岡の偉人:うきは市「王将」演歌歌手 村田英雄

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:この世界、知らんことだらけ

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さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。

今日は、うきは市出身の演歌歌手 村田英雄(むらたひでお/1929年~2002年)。
吹けば飛ぶような駒でも、前に出続けた人のお話です。

芸の世界に生きた少年

本名・梶山勇。
1929年、福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に生まれます。
生後まもなく浪曲師夫婦の養子となり、幼いころから巡業の旅へ。

樺太や朝鮮にも渡り、少年時代には“天才少年浪曲師”と呼ばれていました。

戦後、義理や人情を語る浪曲は衰退していきます。
それでも舞台に立ち続け、
1954年、新作浪曲コンクールで優勝。

ここで「村田英雄」と改名。
浪曲師としてスターになります。

無法松で歌の世界へ

その実力に目を留めたのが、
同じ福岡出身の作曲家 古賀政男でした。

「歌謡界で勝負してみないか」

こうして1958年、
デビュー曲となったのが「無法松の一生」です。

原作は『富島松五郎伝』という、北九州出身の岩下俊作が描いた作品。

無骨で、不器用で、人情に厚い男の物語。

けれど――
この曲は、ヒットしませんでした。

華やかなデビュー。
でも結果は出ない。

浪曲でスターだった男が、
歌の世界ではゼロからのスタート。

王将、そして再評価

村田英雄の転機は1961年。

王将が空前の大ヒット。
戦後初のミリオンセラーとなります。

すると不思議なことが起きます。

売れなかったはずの
「無法松の一生」や「度胸千両」も、
数年の時を経て再び注目され、大ヒット。

評価は、遅れてやってきた。

最初に出したときは届かなかった歌が、
時間を経て人の心に届く。

盤の上に立ち続ける

成果がなくとも盤の上に立ち続ける。
ここが大事だと思うのです。

もし「無法松の一生」が売れなかったとき、
歌をやめていたら。

「王将」は生まれなかった。

そして、無法松も再評価されなかった。

吹けば飛ぶような駒でも、
盤の上に立ち続けたからこそ、
流れは変わった。

もし、自分は立ち止まっていると感じるのなら

始めたことが思うようにいかない。
反応がない。
評価されない。

そんな気持ちに心が折れそうになる自分がいたとしても、
もしかしたら、“まだ届いていないだけ”かもしれない。

人生は、一曲で決まらない。

金曜日の朝。
あなたは、盤の外に出ていませんか。

もう一度、
自分の駒を置き直してみる。
そんな一日を積み上げていくことも大事ではないでしょうか。

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鎌田千穂(産業カウンセラー)

Chi-ho’s studio

組織課題を広い視野で捉え、主体性を持った思考と行動力、公私の均衡を図る自律型人材育成を行うこと。分析・統計による業務改善の解決策を示し、個人の悩みを解き放ち、企業の繁栄に繋げることが専門です。

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