福岡の偉人:豊前市 “不足”を武器に変えた名優 大河内傳次郎

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今週ご紹介するのは――
福岡県田川郡川崎町が生んだ民謡・芸者歌手。
赤坂小梅(あかさか こうめ/1906年〜1992年)です。
川崎町が生んだ民謡歌手、赤坂小梅
1906年、田川郡川崎町に生まれた向山コウメ。
九人兄姉の末娘として誕生。
後に、赤坂小梅と芸名を名乗ります。
生まれ育った筑豊は炭鉱の町。
働く人々の声があり、汗とともに歌がありました。
そんな場所で、幼少時から芸事に触れる日常。
花街の歌声や三味線の音色や民謡を聞きながら育っています。
16歳のときに自分の意思で芸者修行。
唄の技量に優れ「小倉に梅若あり」と言われるほど。
「梅若」の名で芸者となっています。
歌を抱えて上京
やがてその歌声は評判を呼び上京。
女性が前面に立つことがまだ難しかった時代。
地方出身で、しかも民謡。
決して華やかな道というものではありません。
それでも赤坂小梅は、“土地の歌”を武器にしました。
黒田節を全国へ
1930年代。
赤坂小梅が吹き込んだ「黒田節」は大ヒット。
福岡の宴席で歌われていた一曲が、
ラジオを通じて全国へ広がります。
武士の気概を歌うその節回しは、
力強く、凛としていました。
福岡の誇りが、日本中に届いた瞬間です。
その後のヒット曲:筑豊の声が伝わる炭坑節
月が~でたでた~。
月がぁ出たぁ~。
よいよい
一度は聞いたことがある炭坑節。
今では、地域の炭鉱名に変わり、地方に残っていますよね。
この「炭坑節」も赤坂小梅が世に伝えたもの。
それ以外にも筑豊に根ざした歌も広めています。
赤坂小梅が歌ったものでいうなら、
黒田節が“誇り”なら、 炭坑節は“暮らし”
どちらも、福岡の記憶です。
彼女は自分の故郷であり土地のコトを歌った。
だから、時代が変わっても残ったのかもしれません。
女性としての生き方
目立つためではなく、
売れるためでもなく、
郷土の歌を信じて立ち続けた。
それは、静かな覚悟。
赤坂小梅は、
福岡を代表する民謡歌手であると同時に、
自分のルーツを誇った女性でした。
ちなみに「おてもやん」は当時の家族の人間模様も苦笑いする唄でもあるかなぁと。
民謡は、その土地に生きた人の声。
そして、赤坂小梅はインターネットがない時代。
その声を通じて、郷土の誇りを全国へ届けた人。
福岡の歌は、ちゃんと日本に届いていたのです。
さぁ、来週はどの福岡の偉人にしようかな。
福岡には、まだ語られていない物語が眠っています。
また金曜日に。



