「数時間で終わる」は都市伝説:トイレDIY終わらないけど笑えてくる学び

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、井上光晴(いのうえ みつはる/1926年〜1992年)
福岡県久留米市出身の小説家のお話です。
井上光晴は、戦後日本文学の旗手として、社会の矛盾や差別に鋭く切り込む作品を数多く残しました。
代表作には『ガダルカナル戦詩集』『虚構のクレーン』『地の群れ』などがあります。
生い立ち
戸籍上の出生地は福岡県久留米市。
ですが調べていくと、井上光晴は、「満州・旅順で生まれた」と語っています。
幼少期には長崎県佐世保市や伊万里皿山で暮らし、
4歳で母と生き別れた後は、祖母と妹とともに貧困の中で育ちました。
12歳からは長崎県西海市の崎戸炭鉱で働き始め、高等小学校を中退。
中学校には進学できず、独学で専門学校入学者検定(専検)に合格。
上京して電波科学専門学校へ進学します。
戦時中は国家主義思想に傾倒していたと自らが語っています。
少しずつ変わって伝わる生い立ち
井上光晴が語る生い立ちは、語るたびに少しずつ違っていました。
昔のメディアは記事を操作し、誇張することが流行り。
民衆を追い立てるのは今も昔も変わらない。
また、私も受け取る側の価値観を押し付けられることもあり、知らず知らずに違ったこと受け取られることもある。
だからこそ、本当のことを語っていたのか、
自分の人生を別の形に変えていくために必要だったのか、
いまとなってはわかりません。
とはいえ、事実と虚構の狭間で自分自身を見つめ直し語りなおす。
その姿は、井上光晴の文学そのもの。
その境遇が作家として活躍する土台になったのではないでしょうか。
作家としての歩み
戦後は日本共産党長崎地方委員会の創設に参加。
党内活動の矛盾を描いた『書かれざる一章』(1956年)で作家デビューを果たしました。
除名されてもなお、井上光晴は語ることをやめませんでした。
以後は党派に属さず、独立した視点で創作を続けます。
井上光晴が描いたのは、社会の周縁に生きる人々。
炭鉱労働者、被爆者、被差別部落民、在日朝鮮人──
声を持たなかった人々の視点から、日本社会の矛盾や沈黙を描き続けました。
代表作とその世界
井上光晴の作品には、語られなかった声が静かに息づいています。
それは、誰かのためというより、自分自身のための語りだったのかもしれません。
とはいえ、それは私の考えであり、今となってはわかりませんね。
まとめ──世の中に翻弄される生き方
井上光晴の人生は、まっすぐではありませんでした。
けれど、語ることの重みを知っていたのだと思います。
虚構と事実の境界を曖昧にしながら、
言葉の力で「生きること」を描いた人でした。
その姿は他人事ではなく、自分のことのように捉えられる力がある
自分のことのように受け止める生き方をしていたのではないでしょうか。
金曜日はどう過ごす?
何かを始めるとき、過去を見つめ直すことがあります。
それは、誰かに説明するためではなく、自分自身のためにも必要なコト。
井上光晴のように、
自分を語ることで頭を整理する時間も
心を整え、生き方を整えていくことにつながるのかもしれません。
週の終わりが近づく金曜日。
ふと立ち止まりたくなるような時間に、
読書の機会を作るのも悪くないと思います。



