小島与一:博多人形に込められた情熱と心

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、武谷三男(たけたにみつお/1911年〜2000年)のお話。
福岡県大牟田市出身の理論物理学者・哲学者であり“社会的知性”を体現した人です。
生い立ちと歩み
1911年、福岡県に生まれた武谷三男。
戦前・戦後の激動の時代を生き抜いた理論物理学者です。
京都帝国大学で物理学を学び、日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹らとともに素粒子理論の黎明期を支えました。
その考えは「科学の世界」にとどまらなかった。
戦後の混乱期に、
「技術って誰のためにあるのか?」
「科学者は社会にどう向き合うべき?」
という社会全体を見渡す視点を持ち併せています。
戦時中は軍の研究に加わることを拒み、
戦後は原子力や公害問題に対して、
科学者としての責任を問い続けています。
ですが、考えを貫く姿勢というものは揺らぐことの方が多い。
そのことを一貫してブレないことは、自分の信を不動に、志を持つからできることではないでしょうか。
技術と安全性:便利さよりも“命”が先
戦後は、鶴見俊輔らとともに『思想の科学』を創刊。
科学、技術の問題など多くの論文を発表し、原子力問題では、原子力研究三原則(自主・公開・民主)を提唱。
1954年、ビキニ環礁での水爆実験により、日本の漁船が被ばく。
この事件をきっかけに、武谷三男は「技術の安全性」について水爆実験を厳しく批判。
放射線被曝において米国が主張する「許容量」は安全を保証する自然科学的な概念ではなく、放射線利用の利益・便益とそれにともなう被曝の有害性を比較して決まる「がまん量」と呼ぶべきであると主張。
「人体がこれくらいなら放射線に耐えられる」という“許容量”を提示したことを真っ向から反論します。
環境問題やAI利用のリスクにも通じる
ちょっと話がそれるように感じるかもしれません。
実は、この視点は、今の環境問題やAIのリスクにも通じるものだと私は考えます。
それは、武谷三男が声を上げていることの軸の部分。
技術は便利さだけでなく、
倫理と責任を伴うべきものだ。
という考え方です。
原子力平和利用三原則
今こそ見直したい“技術のルール”
武谷三男が提唱した「原子力平和利用三原則」は、技術を社会に根づかせるためのルール。
自主、民主、公開の三原則
(1)すべての事柄を公開で行うこと
(2)日本の自主性を失わないようにすること
(3)民主的に取り扱い、かつ民主的に運営すること
これが、今のAIや情報技術にも当てはまるのではないでしょうか?
技術は専門家だけのものじゃありません。
みんなで育てるものだからです。
武谷三男から学ぶこと
今を生きる私たちが武谷三男から学ぶこと。
- 技術は「できるか」じゃなく「やるべきか」を考えるもの
- 安全性は“がまん量”じゃなく、“命を守る証明”であるべき
- 技術は、みんなで育てて、みんなで使うもの
数式だけじゃなく、人の命や社会の空気まで考えていた武谷三男。
科学の進歩に科学者が没頭する中で、見失いがちなことがある。
技術革新の中には、もっともっとと確信が進めば進むほど見失われてしまう三原則。
そのことから、探求心が暴走すると歯止めが利かなくなる。
そして技術は人間が使うからこそ、過ちも背中合わせになりやすい。
心の隅に住まわせておかなければならないものではないでしょうか。
とても考えさせられました。
参考資料
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/13179
https://www.jaea.go.jp/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri1946/58/11/58_KJ00002729940/_pdf/-char/ja



