話すのが苦手でも、大丈夫——“聴く”から始まる対話

週末の過ごし方に一つ新しい視点をいかがでしょうか?
そう、“知らなかった自分”に気づくということ。
今回、私が勧めたい一作は映画『世界一キライなあなたに』
その物語が描いたのは "尊厳死と生きる選択“
知らなかったから、考えることに意識が向かなかった。
自分の知っている世界観の狭さを痛感します。
そうですね。
知った今、また少しだけ視野が拓け、理解の扉を少しだけ開けられたかもしれません。
映画が描いたのは、静かな決断
『世界一キライなあなたに』は、
「ロマンティックコメディ」として紹介されている作品です。
けれど、その奥には“尊厳死”というテーマがあります。
人生の終わり方を選ぶという問いが投げかけられていました。
登場人物たちの対話や選択の過程に、私は思いがけず心を揺さぶられました。
生きるとは何か
選ぶとは何か
──そんな問いが、ふいに目の前に現れたのです。
スイスに存在する“最後を選べる”施設
作品を通して、スイスに尊厳死を支援する施設があるという現実を知りました。
1998年に設立されたこの施設。
年間の登録者が増加しているという事実に、
これは物語ではなく社会の現在地なのだと気づかされました。
このテーマに“関心がなかった”とは思っていません。
施設の存在も、その仕組みも、実際に人々が選んでいるということも。
ただ、自分の固定観念の中では想像すらしなかった。
想像もしなかったから、考えることすらなかった。
埋もれる声と映画のプロモーション
思えば、映画が広く知られる背景には「興行収益」がついてまわります。
注目される作品は、収益を見込める内容であることが多い。
だからこそ、サブスクで色々な国の映画やドラマがみられるようになったからこそ、見る機会が出てきただけの話。
『世界一キライなあなたに』のようにメッセージ性が高い作品が“ロマンティックコメディ”としてプロモーションされるのは、ある種の戦略でもあると感じました。
けれど、そんな枠の中に埋もれている映画こそ、人に静かな気づきを届けている。
知られる機会が少ないだけで、“考えさせる映画”は、もっとたくさんあるのだと思います。
産業カウンセラーとしての立ち位置
正否を持ち込まないという姿勢
働き方や生き方。
人は日々、大小さまざまな選択に向き合っています。
産業カウンセラーとしてその瞬間に立ち会うとき、私はいつも「決断そのものに正否を持ち込まない」姿勢を貫きます。
誰しも迷いがあるからこそ、その選択には意味が宿る。
感情が前面に現れているならば、
まず心が落ち着くよう取り計らい、
選び方を見直す機会をつくる。
そして、
「なぜその選択にたどり着いたのか」を問い続ける
そのことが私の役割。
問いの時間が、自分の選択肢に敬意を払える“尊厳”へと変わっていく瞬間を、私は何度も見てきました。
だからこそ、冷静で理論的な俯瞰が、衝動ではなく意味を伴った行動を生み出していくことの大切さを痛感しています。
産業カウンセラーとは、そのプロセスに、寄り添う者としての責任があるんですよ。
心の揺れを知る者としての共感
けれど、産業カウンセラーもまた“人”です。
心を持ち、迷いを抱える存在です。
復職、休職、離職──
いずれの選択にも言葉にならない背景があり、本人にしかわからない揺れがあります。
誰にも言えない孤独と、
ほんのわずかな希望が交錯する場面にも、
何度も何度も立ち会ってきました。
一線を引くという選択
だからこそ、私情が交わる場面では一歩引かなければならない。
友人関係、親子、上下関係など、利害や感情の交錯する関係性の中では厳しいもの。
自らが関わることよりも、他の産業カウンセラーへ役割を委ねることのほうが、
その人の選択の尊厳を守ると、私は考えています。
“知らなかったこと”が開いた入口
知らなかったことに気づいた日から、
“理解したつもり”を手放し、
誰かの選択に対して「わからないことがある」と認め続ける。
それは、産業カウンセラーとしての姿勢でもあり、
一人の思索する人間としての出発点でもあるのかもしれません。
気づくことから理解は始まる
誰かの選択に「わからない」と背を向けるのではなく。
「わからないことがある」と認識すること。
それが、理解のきっかけになる。
そして、「語られにくい声」「埋もれがちな映画」への関心を持つこともまた、
この社会に存在する“見えにくい現実”を静かに照らす第一歩になるのだと思います。
夏のレジャーもお健やかに、そして安全にお過ごしくださいね。



