【福岡県みやこ町】NEC創業者:岩垂邦彦の人生から今を考える

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束。
今日は、安川電機を創業した実業家。
福岡県遠賀郡芦屋町出身の安川 第五郎(やすかわ だいごろう/1886年~1976年)
のお話です。
独立や起業を考えるとき、
まだ自分には早いかもしれない
誰かに笑われるかもしれない
誰にも理解してもらえないかもしれない
などの迷いが生まれるものです。
私もかつて、そんな不安を抱えながら一歩をためらっていました。
そして、新たな挑戦をし、未来が見えないときほど一歩をためらう自分と向き合います。
そんな時は先人が切り開いてきた行動を見つめ、自分を整えていきます。
信念を選ぶ勇気
1886年に福岡県遠賀郡芦屋町で生まれた安川第五郎。
安川財閥創始者である安川敬一郎の五男です。
1912年に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業後、日立製作所や米・ウェスティングハウス社で技術を磨かれました。
そして1915年、兄とともに資本金2万円で安川電機製作所を設立します。
父の安川敬一郎からは「資金は出す。口は出さぬ」という言葉に背中を押されながら始めた事業。
後発参入により経営に苦戦し、創業から17年もの間赤字が続いています。
それでも、“正解”に流されることなく、外国製品を真似るのではなく独自設計に徹したようです。
その覚悟が、後の黒字転換につながったのかもしれません。
孤独を味方にする
「足が地についていない、書生っぽい夢だったかもしれません」とご本人が語るほど。
その構想は、現実離れしていたかもしれません。
ですが周囲に理解されずとも、その夢を腐らせずに育て続けた。
私たちも、誰かに笑われたり無理解にさらされたりする孤独を恐れるあまり、自分の理想を引っ込めてしまうことがありますよね。
ですが安川第五郎の生きざまを知ると、孤独も味方にする決意が大切だと感じます。
自分だけは、自分の夢を裏切らない。
――そんな覚悟が、新たな一歩を可能にするのかもしれません。
誠実な行動が導く景色
1964年の東京オリンピック開会式前夜、大雨に包まれた会場を前に「誠心を持って晴天になるように」と祈ったという逸話があります。
翌日は見事に雲ひとつない晴天となり、その後も「至誠通天」の四字に想いを込め続けられました。
祈りそのものより、その裏にある日々の誠実な積み重ねこそが、安川第五郎の生き方を支えていたのではないでしょうか。
あなたの今日の小さな誠実さも、
いつか思いもよらない景色を開いてくれるかもしれません。
終わりに
安川第五郎さんの歩みをたどると、
誰しもが自分の胸の奥にある小さな声に気づくことができる気がします。
あなたは今、「腐らせたくない夢」を思い出しましたか?
もし今日、ほんの一歩を踏み出すとしたら、どんな行動を選びますか?



