誰にも追われない時間の大切さと、その幸せ
いつのまにか、誰かの選び方で生きている。
何気なく使っている商品
何気なくしている挨拶
何気なく選んでいる服
それは本当に「私」が選んだものでしょうか?
“女性だから優しい香りを”
“この年代なら落ち着いた色を”
“働いているならこういう言葉づかいで”
そんな “らしさ” や “気遣いのつもり” が、
自分の感覚や必要なことを見えづらくしてしまうことの方が多いもの。
1. “こうあるべき”が、選択の自由を曇らせる
職場でも暮らしでも、選択には「空気」がついてくる。
この場にふさわしい
相手に合わせた方がいい
自分らしすぎると浮いてしまう
こうした判断は、確かに配慮や調和を生むものです。
とはいえ、 “いつも誰かの目を通して選んでいる” ような感覚が続くと、
自分の輪郭はぼやけてしまうもの。
そして何より怖いのは——
「本当は何が心地よいか」に気づかなくなること。
実際のところ、産業カウンセリングをしていると、自分の心の底がわからない人の方が多いんですよ。
2. 自分で選ぶことは、意志の輪郭を取り戻すこと
産業カウンセラーとしての場面でも、「選択」には自己肯定感が強く関わっていると感じます。
誰かが勧めてくれたものもありがたい。
ですが、その前に
私はどう感じているか
今の自分に合っているか
——そうした感覚に耳をすませる時間があることが、心の安定につながります。
選ぶことは、“わたし”を取り戻す手段。
そして、周囲との関係を優しく編み直していく力にもなります。
3. 働き方にも“違和感”を見つける視点
最近では「働き方改革」や「多様性への配慮」が広がっています。
一方で、“柔軟に選べるはずなのに、なぜか不自由”という声も聞きます。
- フレックス制度があっても、実際には利用しづらい雰囲気
- 休憩時間を取れるはずなのに、「みんな頑張っているから…」と遠慮してしまう
- キャリアを選べるはずなのに、「育休後はこのコース」と決められている
こうした現場の声には、“選べるはずなのに、選べていない”不自然さがあるようです。
その違和感に気づくことは、働く人の心のケアにも直結。
まとめ:選択がわたしを創り、居場所をつくる
「選ぶこと」は、ただの行動ではなく、感覚の表現です。
性別も年齢も役職も、「らしさ」も——それらを横に置いて、
“今のわたし”にしっくりくるものを手に取る自由が、職場や社会の中で息づいていくこと。
それは、一人ひとりの意志が尊重される文化を育てることでもあります。
そして何より、自分の風景を生きることへの、小さな肯定感につながっていく。
次回は、「伝え方が空気を変える:職場コミュニケーション」へと続けていきます。
言葉の選び方が、関係性や場の心理的安全性にどう影響するか。
そっと、言葉の置き方を見直す時間にしていけたらと思っています。




