毎日を『いい気分』にする心のクセ

今年は早めに雨明け宣言。
日差しが眩しくて、空気が少し軽くなった気がします。
ですが、中には吹っ切れてない方もいるかしら。
そんな時は、心の中にはまだ晴れ切らないモヤモヤがあったりして。
大丈夫なふりが、いつのまにか当たり前
そうですねぇ。
大丈夫なふりが、いつのまにか当たり前になってたなんてあるかもしれませんね。
「わかってます」って笑って、
「平気です」って答えて、
「できてます」って振る舞う。
本当は、全然ついていけてない。
できてないと思われたくないばかりに振る舞ったからこそ、気持ちも大丈夫な自分だと思い込んで、奥底の気持ちは見えなくなる。
帰り道に一気に疲れが押し寄せていたりするのに、自分は大丈夫と過信する。
そんな“できてるふり”が、気づけば毎日の標準装備みたいになっていた。
誰かに心配をかけたくない。
頼りなく見られたくない。
でも、本当の気持ちは言えないまま、溜まっていくのは自分の中のしんどさばかり。
そんな方って男女や老若男女問わず、仮面をかぶって心は孤独って意外と多いんですよねぇ。
〝できる〟ふりをしてしまうのは弱さじゃない
私たちが「ふり」をするのは、
誰かの期待を裏切りたくないという優しさや、
がんばろうとする責任感からくるものだったりします。
周りと比べて不安になったり、
「わからない」って言ったら変に思われそうで怖くなったり。
だから、「ふりをしてしまう自分」は、ちゃんと努力してきた証なんです。
「わからない」と言えるだけで、少し呼吸がしやすくなる
“できるふり”をしているあいだ、
私たちは少しずつ自分を置いてきぼりにしてしまいます。
本当はどうしたいのか、何がつらいのか、わからなくなっていく感覚。
ですが、ほんの少し勇気を出して「わからない」「しんどい」と言えたとき、
心の中に小さな余白が生まれるんです。
そこが、ふりじゃない自分に戻れる入口になるのかもしれません。
本音を言わせない人たちに囲まれる辛さ
とはいえね、「わからない」「しんどい」って言わせない人の方が圧倒的に数がいる。
こちらの気持ちはそっちのけで、聞いた人の感覚で、
「大したことないよ」
「〇〇さんだったら大丈夫だよ!」
「考えすぎじゃない??」
って、突き放す人も多いしね。
そんな時に生まれる気持ちは承認欲求。
承認欲求が強くなると、自分で自分を追い込んだり、相手を攻撃したりするので、更に心が疲弊しやすい。
だからこそ、そんな時程「(今の私は)これがわかる。後はわかりません。手伝ってください!」と前後の言葉を入れて、頼る気持ちを伝えると心が整いやすいかな。
何かと戦っている人に、「わからない」「しんどい」っていうと、戦うような言葉が返ってくるので、相手を選ぶことだって大事なスキル♪
自分に戻るための、ささやかなこと
自分に戻るって大事。
そのうえ、誰かが教えた価値観で生きる窮屈な自分を見て見ないふりすることで自分がわからなくなっていることも多い。
・「今日、自分を置いていったのはどこだったかな」と少し振り返る
・ノートに“ほんとはこう言いたかった言葉”をこっそり書いてみる
・ひとりごとのように「今日はできなくてもいい」とつぶやいてみる
・ただ何もしない時間を、罪悪感なしで過ごしてみる(←すごく大事)
「ふりをやめる」ことは、放棄でも甘えでもなくて——
自分にちゃんと優しくなるという選択です。
その優しさの積み重ねが、自分に戻る力になります。
この文章を書いていると、平塚らいてう「元始、女性は実に太陽であった」を思い出してしまうのです。
元始、女性は実に太陽であった。
真正の人であった。
今、女性は月である。
他に寄って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。
私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取戻さねばならぬ。
平塚らいてう
平塚らいてうのお話は女性を表しています。
ですが、私の目に映る方々の多くは、老若男女問わず〝他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月〟をしている。
自分らしいと信じ込んでいるばかりで、作られた自分に縛られている。
おわりに
いつも笑っているあなたも、
空気を読んでうなずいているあなたも、
もしかしたら、心の中ではもういっぱいいっぱいになっているのかもしれません。
それでも、今日もここにいる。
それだけで、あなたはよくやってる。
だから今夜は、あなたの中の「できてるふり」にこう伝えてあげてください。
「今日の私に有難う、明日の私には格差をつけないで」って。



