スキルアップと収入増!副業の魅力とリスクを知ろう

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはならない偉人伝。
毎週金曜日のお約束です。
20世紀、日本の近代文学に偉大な足跡を残した詩人 北原白秋。
日本文学の黄金期に燦然と輝く詩人・歌人です。
北原白秋の作品は、詩や短歌だけでなく、童謡としても多くの人に親しまれてきました。
そんな北原白秋が幼少期を過ごした美しい町は柳川。
その故郷と詩歌への深い思いは、今なお多くの人々の心を動かし続けています。
子どもの頃に音楽の授業で習った記憶がある方もいるのではないでしょうか?
今でも忘れない衝撃が走った「あわて床屋」
♪雨雨フレフレ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな~♪の歌詞が懐かしい「あめふり」
他にも、雪の降る夜は楽しいペチカの「ペチカ」
他にも「この道」に「待ちぼうけ」など聞いたことがあるのではないでしょうか?
子ども心に衝撃波が襲った「あわて床屋」
とはいえ、鮮明に記憶に残る歌が一つ
衝撃波が襲った「あわて床屋」
うさぎがカニの床屋に行くが、うさぎの髪ってドコ???
兎は毛が短いのに手入れが必要なのか?
森の中に動物の住む町があるのか??
そして、衝撃が走ったのは「耳をちょんと切り落とす」結末。
耳をちょんと切り落とす!?
ナンダッテー!=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)
そんな、軽やかに歌えるもんなのか???
先生たちが笑顔あふれる軽やかなリズムで「チョキン!チョキン!」と耳を切る仕草を見せる姿を今でも覚えています。
耳を切ったら痛いよね?
うさぎの耳はどうなったのか?
と先生や母親に質問しても、笑いながら「チョキン!チョキン!」と振り付けをするばかり。
「大人って、何にも考えてないんだ。」と感じていたことを、今更ながらに思い出します。
歌詞が掲載された動画があったので下記に添付します。
柳川は、我が詩歌の母體(母体)
さて、本題に入ります。
北原白秋(本名:隆吉)は、1885年(明治18年)、柳川市の酒造業を営む家庭に誕生しました。
「トンカジョン(大きな坊ちゃん)」と親しまれた少年時代に、自然豊かな柳川とその文化に多大な影響を受けたようです。
有明海を望む風景と、人々の交流が織り成す生命力にあふれた町。
それこそが、北原白秋の独特の作風のルーツ。
ですが、16歳の時に一家が火災で酒蔵を失ったことで、北原白秋は深い喪失感を抱えます。
その後、詩歌創作に没頭し、やがて上京。
24歳で発表した処女詩集「邪宗門」は耽美主義を象徴し、文壇で喝采を浴びました。
故郷柳川への想いを託した作品たち
北原白秋の詩集「思ひ出」は、没落した実家と故郷柳川に捧げた感謝と懐旧の念を込めたものです。
また、日本の音楽界に多大な影響を与えた山田耕筰との合作「からたちの花」は、童謡の傑作として現在も歌い継がれています。
北原白秋の詩業は多岐にわたり、生涯にわたって2万点以上の作品を世に送り出しました。
北原白秋が後世に残した足跡は、文学界だけでなく、音楽や文化に広がり続けています。
北原白秋が暮らした当時を再現する生家と記念館
現在、北原白秋が少年期を過ごした柳川市の生家は、復元されて「北原白秋生家」として公開。
その母屋では、北原白秋が幼少期に感じた柳川の雰囲気を肌で感じることができるようです。
北原白秋記念館
また、敷地内の「北原白秋記念館」では、北原白秋の詩業と柳川の歴史民俗資料が展示されています。
この記念館の特徴的な「なまこ壁」の外観は、柳川特有の建築様式を引き継ぎ、その地で過ごした北原白秋の人生を物語っています。
柳川から全国へ、そして未来へ
北原白秋が紡いだ数々の詩や童謡には、故郷柳川への愛と情熱が溢れています。
その作品は、時を超え、多くの人々に親しまれ続けています。
そんな北原白秋の人生と文学的遺産、そして北原白秋の作品が生まれた柳川の魅力に触れてみるのはいかがでしょうか?



