働く人の感覚に寄り添う視点

今日は金曜日。
毎週金曜には福岡で活躍していた方のお話を通じて心のあり方を書いていきます。
あなたが毎日通り過ぎる道すがらの無言の建物や銅像、石碑。
そこには福岡が誇る歴史が刻まれています。
さて、今日は糸島の彫刻家のお話。
博多駅東、合同庁舎裏側にある中比恵公園に設置されているモニュメント。
そのひとつが「明日を創る人」原田新八郎作。
この記事では、原田新八郎氏の生涯とその遺産についてご紹介します。
自然と文化の中で育まれた才能
福岡県糸島市の豊かな自然と文化の中で育まれた原田新八郎氏。
彫刻家としての卓越した才能と深い情熱を持ち続け、多くの人々にインスピレーションを与えてきました。
原田新八郎氏の作品は地域社会に深く根ざし、その温かい人柄が作品を通じて伝わってきます。
フランスの巨匠に憧れた少年
1916年、福岡県糸島市(旧前原町)に生まれた原田新八郎氏。
フランスの彫刻家ロダンに憧れていたようです。
糸島中学(現・糸島高校)を卒業後、原田新八郎氏は東京美術学校(現・東京藝術大学)に進学。
齋藤素巖に師事しました。
在学中には『若い女』が新文展に入選。
卒業制作では正木賞を受賞するなど、その才能は早くから認められていた存在。
教師と彫刻家、二つの顔
卒業後、高校教諭として働きながらも、彫刻家として活動。
1956年には『働く人』、翌年には『漁婦』が日展(日本美術展覧会)で特選を受賞し、1960年には第1回菊華賞を受賞。
その後も日展の審査員を務め、彫刻界に大きな影響を与えています。
戦争の試練を乗り越えて
第二次世界大戦の影響で創作活動が困難だった時期もあったようですが、芸術に対する情熱を失うことはなかったそうです。
福岡に息づく芸術
中比恵公園にある作品
地元福岡には、原田新八郎氏の作品が多数展示されています。
博多の合同庁舎裏に位置する中比恵公園には、原田新八郎氏の代表作「明日を創る人」が展示。
この作品は未来を切り開く力強い姿を表現し、訪れる人々にインスピレーションを与えています。
伊都郷土美術館と貴重なコレクション
伊都郷土美術館には、『働く人』『漁婦』をはじめとする多くの彫刻と絵画が展示。
糸島市役所本庁舎の壁画や伊都文化会館ステージの緞帳の絵なども原田新八郎氏の作品です。
改築前のJR筑前前原駅前にあった母子像は、現在糸島高校駅前に移設されています。
糸島美術協会と地域への愛
1950年、原田新八郎氏は日本画家の松永 山らと共に「糸島美術協会」を設立。
続けて1960年にはJR筑前前原駅前に『母子像』を寄贈。
1986年には前原町に作品と土地を寄贈して現在の伊都郷土美術館が開設。
糸島の芸術文化の発展に尽力しました。
1989年2月9日、原田新八郎氏の人生は幕を閉じました。
享年72歳。
故郷や友人を大切にし、「人間の生きざま」を描いた原田新八郎氏の作品は、今でも地域の人々に愛されています。
まとめ
原田新八郎氏は、その生涯を通じて地域社会に深く根ざし、彫刻家として多くの人々にインスピレーションを与えてきました。
ですが、「東京に出たら名が売れ、作品は高い値段で売れるかもしれないが、金持ちの庭や蔵に作品が埋もれるより、お金にならなくても一人でも多くの人の慰めになる作品をつくりたい」との想いで帰福。
そのおかげで、原田新八郎氏の作品は今もなお、福岡県糸島市をはじめとする地域の至る所で見ることができ、その温かい人柄と芸術への情熱を感じられることができるのです。



