個人発展と質問力の関係

博多人形師の名匠、小島与一さんのことをご存知ですか?
子どもの頃、近所でも絵師を沢山見かけていたことを思い出します。
今日は名匠のお話を。
小島与一(1886年 - 1970年)さんは、博多人形師として世界にその名を轟かせた名匠。
小島与一さんの代表作「三人舞妓」は、1924年のパリ万国博覧会で銀賞を受賞し、博多人形の美しさを世界に知らしめました。
小島与一の生涯と博多人形
小島与一さんは福岡県福岡市中市小路生まれ。
市小路小学校(現・福岡市立博多小学校)を卒業後、日本画家の上田鉄耕氏に師事。
その後、博多人形師の白水六三郎氏に入門しました。
14歳で白水六三郎氏の元で修行を始めた與一は、近代的な人形制作技術を身につけ、博多人形の美術工芸品化に多大な貢献をしています。
代表作「三人舞妓」は、その美しさと技術の高さから博多人形の最高峰とされています。
小島与一が教えてくれる「心の豊かさ」
小島与一の卓越した技術とその人柄は、多くの人々を魅了しました。
豪快ながらも愛情深い彼の存在は、弟子たちや周囲の人々に大きな影響を与えています。
情熱を持つ
小島与一さんは博多人形に対する情熱を持ち続け、一瞬のインスピレーションを逃さず作品に反映させる努力を怠らなかったそうです。
朝から深夜まで情熱を持って取り組む姿勢。
極めることをとことん突き詰めることは、心に充実感をもたらし、自分自身の存在を確かめることにもつながります。
現代では働き方改革などもあり違法と言われる時代。
そんなことをしていたら、色々と社会的制裁や糾弾があるかもしれませんねぇ。
ですが、本当に好きなことをしている人は、それこそが生き様であり日常の一つ。
生活の一部でご飯を食べるように、空気を吸うように溶け込んでいる。
だからこそ、時間を忘れるまで没頭できるものかもしれません。
困難に立ち向かう力
小島与一さんは数々の困難に直面しています。
でしが、決して諦めることなく望んだ結果を掴んでいます。
小島与一さんの作品「初袷」を制作する際、困難な状況に直面しながらも作品を完成させた逸話があります。
ここでは記載すると長くなるので割愛。
とはいえ、どんな困難にも前向きに取り組むことの大切さを知っている方。
諦めないことって、私たちが逆境に立ち向かう際の励ましになるものです。
周囲とのつながり
小島与一さんは多くの弟子に愛され、人々との絆を大切にしました。
弟子に対しては厳しくも愛情深い指導を行い、無償の協力を惜しまない姿勢を見せています。
人とのつながりを大切にすることで、自己成長だけでなく、他者との協力を通じてさらなる豊かさを得られることを教えてくれます。
美の追求
彼の作品は美の追求そのものでした。特に「三人舞妓」が代表作として世界に認められたことから、自己表現を通じて美しさを追求することが心を豊かにするのだと実証しています。
美しいものを創り出し、それを共有することの喜びは、私たちも実感できるものです。
人間味溢れる生き方
小島与一さんは、その才能だけでなく、浪費癖や破天荒な一面もありました。
それが人間味ある魅力をさらに引き立てています。
自分を包み隠さずに生きることが、自分らしさを追求し、心を豊かにする道。
とはいえ、諸事情を知れば知るほど、小島与一さんのような豪快な自分らしさの追求はできないかもしれないなぁ。。。。。
終わりに:心豊かに生きるためのヒント
小島与一さんの生き方は、現代では法律というものに縛られると、やってはいけないことの中に収まるもの。
ですが、その点を横に置くと、「もっと美しくしたい。もっと〇〇したい」という気持ちが溢れていることが伝わってきます。
何かを成し遂げたかったら、自分でやり遂げるしかない。
そんなことを体現化されている方だったんだなと感じています。
好きこそが自分の人生
好きを仕事にすることを体現化しているお手本。
本当に好きなことをしている人は、それこそが生き様であり日常の一つ。
生活の一部でご飯を食べるように、空気を吸うように溶け込んでいる。
行きたくない気持ちをおさえて会社に出社するわけでも有りません。
やりたくない仕事をして、人や役割に不満や愚痴を重ねて生きているわけではありません。
自分のやりたいと願うほど好きなものを、小島与一さんのように極めようとしているか。
武田信玄の名言にある
一生懸命だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり
を、思い出し、
私自身が、う~ん。。。。と唸ってしまいます。



