「あなたのため」という人の心理:その裏に隠された5つの真実
チホズスタジオ
産業カウンセラーの鎌田千穂です。
福岡市でオンラインや訪問を中心としています。
事業内容は産業カウンセリング及びコンサルティングサービス。
他にもチホズ文字分析による、人材分析及び提案も行っています。
言葉の時代に潜む新しい「マナー」
現代社会では、言葉の使い方やその影響についての感度が高まっています。
例えば、外見や身体的特徴についてのコメント。
時に「ルッキズム」や「ボディシェイミング」として批判されることがあります。
それでは、そんな新しい「マナー」について考えてみましょう。
外見を褒めることのリスク
あの女性は美人だね〜。
あの男性、スタイルが良くてカッコいいね〜。
と褒めることも、今やルッキズム(外見主義)と見なされる時代。
お父さん、運動してお腹を引っ込めた方が健康に良いよ
お母さん、少し痩せた方がいいんじゃない?
という何気ない会話さえも、身体的特徴の侮辱というボディシェイミングと捉えられています。
新しい「マナー」ができるまで
海外のセレブや芸能人の影響も大きく。
曲やSNSで容姿に関する誹謗中傷に対して声明を発表することが増えています。
その影響で、「NYのビジネスシーンでは今…」という記事が意識の高い雑誌に掲載。
それを読んだ人々が「私たちの会社も遅れてるよね〜」と言い始めます。
そして、これが若いマスコミに取り上げられ、テレビ番組がここぞと言わんばかりに、話題として入れ代わり立ち代わり同じことを話題にする。
そして、流行遅れにならぬように、こぞって新しい「マナー」を広げていきます。
こんなことが新しい「マナー」ができる経緯かと。
息苦しい世の中の要因
本来はどうでも良いことでも、気をつけなければならない昭和世代の人たち。
昭和世代は困難を乗り越えながら生きてきました。
ですが、新しい「マナー」にも適応しなければならないプレッシャーがあります。
なんたって、教育の中で取り入れないと行けないほどの代物に肥大していくのですもの。
これにより、職場や日常生活での言動に一層気を遣わなければならなくなる。
職場でのトレーニングや意識改革が求められることも一挙に拡大。
その結果、自由に発言しづらくなり、意見交換が減り、職場の雰囲気が硬直化することも。
また、自身の経験や知識が尊重されていないと感じることがあれば、それがストレスの一因となることもあります。
こうやって世代間のギャップが広がり、理解し合うことが難しくなる場面も増えているのではないでしょうか?
認知の歪みからくる言葉の誤認識
先日、「凡人」と「非凡人」について話しました。
その際、前後の言葉を切り取り、「凡人」という言葉に「自分のことだ」と受け取り過剰反応することがありまして。
私が差別をしたという反応で攻撃的になる方もでてくる。
反対に、内容をそのまま受け止めている方は「とても良い話を聞いた!自分の今後に活かします!」と、素早く実践を始めるのです。
ここで、このコラムを読んでいる皆さんはおわかりですね。
同じことを学んでいるのに、こうやって受け止め方の違いから、益々格差が生まれる理由です。
ε-(´・д`・ )
悲劇の主人公スイッチ:自意識過剰からくる被害妄想
メンタルヘルス不調スイッチが入っていると、自分だと言われていないのに自分が攻撃されているという反応をしてしまう。
自意識過剰からくる被害妄想。
心の不調はすべてを歪めて受け取れるほどに。
周囲はモンスターだらけになるんです。
そういった方々を見ると、なんだかとても心が痛くて。
世の中、自分が思っているほどに悪い世界じゃない。
楽しいことが溢れているのに、眼の前にあっても見つけられないのですもの。
被害妄想について知りたい場合は、下記のコラムをご参考くださいませ。
被害妄想からの脱出:自分と周りを正しく理解できていますか?
お正月あけ早々からネガティブ話題の洗礼も避けたいもの。
下記のコラムもご参考まで。
やる気を奪う心のエネルギー泥棒:ネガティブ話題の洗礼
一人の方を気にして、大切なことを伝えられなくなるのは違うとはいえ、この仕事をしているととても学びが深まりますよ。
事例を元に伝えること
現代の価値観や社会の変化に伴って、言葉の使い方やその影響について、恐ろしいほどに敏感になる人が増えています。
例えば、凡人と言われることで、自分が他の人よりも劣っていると感じたり、自己の評価が低くなると感じる人もいるかもしれません。
企業というのはブランディングのための作り物のスターを見せることに一生懸命。
才能ある人や成功している人が称賛される一方で、凡人という言葉が「普通であること」を否定するように聞こえる方がいることも事実。
才能ある人が、羨ましいと思われるような幸せでいるとは限らないんですけどねぇ。。。
無意識の偏見と無自覚の差別
こうした反応を受けて、この人が言うと腹が立つけれど、あの人がいうと腹が立たないということこそが、無自覚の偏見と無自覚の差別。
私たちが使う言葉や表現について、相手の反応を読むのではなく、互いに会話を増やして軌道修正をすることへ意識を向ける必要がある時代です。
ユーモアなのにユーモアとして受け取れない方もいる中で、どこまで配慮アンテナを高める必要があるのかわかりません。
そして、気に入らない言動を過剰に取り上げることで、気に入らない言動をした人を悪くいい始めるのでしたら、自分たちが集団ハラスメントをしているわけで。
被害者意識から、率先して加害者の集団になる怖い時代。
まとめ
外見や身体的特徴に関する新しい「マナー」が次々と生まれ、息苦しい世の中がさらに息苦しくなっています。
でも、他人を傷つけないように配慮しつつ、個々の価値観を尊重することが大切。
世代を超えて、新しい価値観に適応しながらリラックスしたコミュニケーションを続ける方法を見つけることが求められているんだろうなと感じます。
新しい「マナー」は、言葉の使い方に敏感になりつつも、ユーモアを忘れずに楽しく日常を過ごすための工夫とも言えるかもしれません。
私も含めて世間知らずの日本人。
もしかして、これこそが時代の流れなのかもしれません。