不登校なんてへっちゃら!可能性に目を向け、遺伝子の視点から学ぶ
子育ては褒めて育てよという事を、昔も今もよく耳にします。
保育園、幼稚園は褒めて育てていると思います。
ですが、採点が始まるころから、褒めるよりも間違い探しが多くなり、先生や大人の常識論を、子どもが真に理解しているかどうかはさておき、限りある時間の中では、全員に対してはどうすることもできないので、結果的に押し付けてしまうことになってしまうのかもしれません。
こういったことは、誰の責任でもありません。
しかし、影響を受けるのは自分です。
そんな、周囲の状況が「できない自分を強く意識する」方向性になっている中で、自分が出来ていることを意識する事にはつながりにくくなっています。
また、自分を認めてほしいと思う気持ちが強ければ強いほど、なおさらそうだと感じます。
そんな中で、「自分が行為の主体であり、自分の行為が自己の統制下にあって、外部の要請に応じて適切な対応を生み出しているという確信・感覚のような自己効力感が育つ」ことは、非常に難しいのではないだろうかと感じています。
経験から学び、その感覚を知っている大人は、言葉や道具を使いそのことを懸命に伝えようとするけれど、経験もせずに感覚も知らない子どもに、どのような理解ができるでしょうか?
逆に、言葉で伝えても理解をすることは困難ではないでしょうか?
そして、その習慣が人生の至るシーン全てに影響してしまうものです。
赤ペンでさえ、使い方次第で受け取り方が変化する
その一つに、赤ペン恐怖症の方の事例があります。
この赤ペンは間違っているところやできていない所ややり直し箇所に多くチェックが入るので、赤ペンが沢山入らない事を願い、赤ペンが間違っている自分への劣等感を煽ってしまい、やる気が起きないという事につながっています。
でも、反対だったらどうでしょうか?
良いところやできているところのみにチェックが入っていたら、用紙が返ってくることを心待ちにし、赤ペンがない事がさみしく、またがっかりするようになるのかもしれません。
自己矛盾に気づく事も大切
そう思いながら、フット自分を振り返ると、
できない理由を100も200も考えるくらいだったら、出来る理由を1つか2つ考えて実行し続けるだけで、出来ていくじゃないかと自分自身も理解して、実践しているつもりでした。
けれども、そういう私も、チェックをする所は、悪いところしか眼をむけていない事があり、赤ペンは間違いなく悪いところに入れてしまっているような自己矛盾をしていることにハッとさせられた時があります。(苦笑)
知って、わかっていても、いつでも、どこでも、誰にでも出来る事とは全く別物なのです。
σ( ̄∇ ̄;)
そんな中で、自分を振り返りつつ
「できる子」「やれる子」を育てる支援をしたいわけではなく、
どんな環境でも「できるようになれる子」であり「やれるようになれる子」を育てる支援をしたい。
だから、どうすればいいのだろうか??と考えるからこそ、
そういった観点で、日常の中でさえも、定期的に振り返る機会を得られているのかもしれません。
私は。自分の原点に立ち戻る時間を取ることは、この仕事には欠かせないと考えています。
このブログを呼んでいる皆さんは、定期的に何を振返ったり原点に戻られていますか?
昔は良かったと思われる方がいらっしゃったとしたら、
「昔があるから、今の自分がいる。」と、何かしら振返られて見られると何かしら気がつく事があるかもしれません。