言葉本来の役割を理解:心を和ませる時間を作る
人を惹きつける魅力というものがあります。
この人を惹きつける魅力の定義は人それぞれかもしれません。
その定義には、いい意味での人を惹きつけるというものもあれば、悪い意味でも人を惹きつけるという表現があります。
その人の持つ雰囲気がそうさせるのかもしれないのですが、それは持って生まれたものや後付けのものもあります。
後付けのものは、想い描いた自分の魅力的だと思う理想を演技するので、無自覚・無意識にできるようになるまでは、苦労が伴います。
また、見方を変えると他人の評価を気にしている行為でもあるため、無理をすることも多いのではないでしょうか?
私は、時おり、そうまでして、自分が想い描いた理想の魅力を演技してまで、飾らなくてもいいのにと思う事がありますし、「どうして自分を表に出しちゃいけないと思うの?」とお伝えすることがあります。
その際、苦しいなら違う方法を考えてみる提案をすることはあっても、本人は生きるために一生懸命なのだから否定はしません。
あくまでも、疑問に思った事を伺うだけです。
誰しも懸命に生きる人を非難する資格はありません。
また、その人らしく生きる環境を提供できていないことにも課題があるんだよなぁと考えてしまいます。
私も時折、自分を取り繕ってはいないだろうかと思う時だってあります。
それは、相手が過度な期待をして、その期待を押し付けられるときには、自分の意思を表示すべきか、その相手の気持ちを尊重すべきか、どちらにしても自分の意思を尊重すべきなのはわかっていても、期待に応えたいと思ってしまう見栄っ張りな自分もいるからですね。(笑)
評論はとても楽ちん、目の前にある結果に対して、自分の意見を述べればいいだけで、何の責任もないし、何かを非難し自分を正当化して不満をグダグダいえばいいだけの事も多いからですねぇ。
そうはいっても、私も人間ですから、このブログに書きながら自分に言い聞かせているところです。
なんだかんだ言っても、自分自身が一番自分の事をわかっていない瞬間は誰にでも訪れます。
皆さんの中でも、そんな自分にハッと気が付いたときは、
人間らしい人間をやっているなぁと自分に笑ってあげてくださいませ。
そうする事で、自分の生き方や考え方を受入れて、
無自覚・無意識で、誰にでも優しいまなざしで見られる許容範囲が大きく、笑顔が素敵な魅力的な人にスキルアップされているからです。