才能は非凡であるからこそ、才能
こういった事をしていると、話を聞いてほしいだけの人の話を、
自分の意志とは無関係に聞かされることが多いのも事実です。
その中で、不信感というものがあるので、今日はその話を。
不信感が生まれる経緯
不信感は、全てとは言わないまでも、自分が勝手に相手を判断して、過度に何か期待をしていたが、現実はそうでなくがっかりさせられるときに起こりやすいのではないでしょうか。
また、ある根拠により信頼していたけれど、実はそうではなかったと気が付いたときなど、そういった時に生まれやすい傾向があると思います。
その思い込みの度合いと比例して、不信感は大きくも小さくもなっています。
そもそも、対象に対して、騙していることは除外しますが、
自分自身は勝手な思い込みで、根拠のない信頼から勝手な大きな期待をしている自分がいる場合、その期待が外れた時程こそ、自分を正当化し、期待の大きさにより相手を否定するのですから、相手にとっては良い迷惑かもしれません。
不信感は暴走する
そして、怖いのは
一度不信感を感じると、全てが疑いとなり、真実さえもおかしいモノのように感じてくるため、何もかもを疑うようになるのです。
そうなると、不信感は暴走を始めます。
自分自身の中で、対象者を全面否定し、拒絶するためにだけ全力になり、対象者の悪いところしか見えなくなります。
また、その対象者と似たような現象や兆候をみると、関連のない他人でさえ、同類とみなし、同じ不信感を抱くようにもなるのです。
そして、一度感じた不信感は、よっぽどのことがないと払しょくできない方が多いのも事実です。
見方を変えると、本当は、不信感を持ってしまった自分の責任でもあります。
いわゆる、自分の判断力の責任なので、物事を広い視野や違う視点で判断できるスキルをみにつけるする必要があるだけのことです。
私の場合は、きっとその点は、仕事柄もあって、冷ややかに判断しているのだと思います。
また、そうまでして、やらないとならないものだろうかと疑問なるので、不信感を持てるほど相手を信頼していないのかもしれません。
だからこそ、カウンセリングの時に、
不信感を持てるほど、相手を信頼し、
裏切られたと悲しむ姿を伺い知る機会があれば、
何だかとてもうらやましく感じる自分がいます。
写真のように高い所や離れたところから、自分を振返ることができたらきっと良い日になると思います。