英検1級道場-不都合な自分と向かい合うことの大切さ、ゼニのとれない海外営業マンだった私
昨日、羽田空港から徳島阿波踊り空港に飛びました。
夏休みとあって、さすがに180人乗りの飛行機は満員御礼でした。
空港でレンタカーを借り、まずは淡路島に向かいました。
途中、道の駅うずしおに寄りました。
驚いたのは、土地の名産品を使った商品の多さです。
商品企画のすばらしさに感服しました。
今まで多くの道の駅を訪ねましたが、1、2位を争うほどでした。
さらに移動して、土生港から船に乗り沖合にある沼島(ぬしま)に向かいました。
ここは、おのころ島といわれ、古事記の建国神話の中で、最初にできた日本列島の島です。
おのころ神社(自凝神社)中心にいくつかの場所を回りました。
昔は、沼島に4500人住んでいたそうですが、人口は10分の1になり、子供は10人しかいないそうです。
平坦な農地は皆無。漁業の島です。
ちなみに、あるTV番組で見たのですが、太古の昔、瀬戸内海は陸地でした。淡路島の東と西はそれぞれ本州、四国とつながっており、いわば防波堤の役割を果たしていました。
地殻変動があり、防波堤が切れ、太平洋の水が押し寄せ、今の瀬戸内海ができました。
陸地だった瀬戸内海の山が、今は島になっているというわけです。
瀬戸内海では、昔からナウマン象など大型哺乳類の骨がたくさん見つかっていることがその事実を物語っているということでした。
また、近世までは海運が主流でした。淡路島の東を抜けると大阪湾、西を抜けると鳴門海峡から瀬戸内海に入ります。
すなわち淡路は交通の戦略的要衝でした。西でいえば関門海峡ですね。
このため、沼島の海賊が重要な役割を果たしていたそうです。
現代の私たちは、どうしても陸運、空運を中心に考えがちですが、昔は圧倒的に海運が主流でした。
沼島を出て、次は内陸にある、おのころ島神社。次に先山千光寺、伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)を訪ねました。
おのころ島神社には、日本一大きな鳥居が立っています。
私たち日本人は、ギリシャ神話やローマ神話、北欧神話などを疑問を抱かずにありがたがって読みます。
戦後は、日本の歴史のすべてを否定するような教育が行われたために、古事記や日本書紀の世界が軽んじられたり、疑問視されたりする風潮が蔓延しました。
最近の科学の進歩によって、記紀の世界、縄文時代の遺跡が多数発見されています。
また、古代には欧州やインドなどから多くの外国人が日本を訪れたこともわかっています。
日頃、私がよく話していることですが、グローバルな世界で生きていくためには、教養の高い日本人になる必要があります。
日本人が外国に留学すると最初に要求されるのは日本の歴史について語ることです。
その時に、古事記の世界から語れなくてはいけません。
そのような日本人の有り様こそが尊敬されます。
日本のような近代国家が実は古い歴史の上に成り立っているのだと知れば、なおさら日本に対する尊敬が高まります。
日本のさまざまな文化は、これまでの長い歴史と伝統の上に成立しています。
そのことを語れる日本人になりましょう。
旅に出ると、日本人に生まれてよかったと、あらためて感謝します。
今日からは四国お遍路の旅を始めます。