英検1級道場-ジャパンタイムズ記事への意見 その⑧ 現役の高校の先生から
当該ジャパンタイムズ記事は、英検が日本の英語教育を駄目にしていると述べていると思われる。
この点については多くの反論が可能である。
例えば、英検に限らず試験というものが定型性を有するのは必然であり、完全に予想できず事前に訓練できない試験というものは現実的ではない。
語学に限らず、医療・法律・スポーツ・音楽・芸術といった他の分野の試験やコンクールも、傾向の分析・準備訓練をするのが通常である。
確かに現実の社会には想定外のことが多いが、想定外とされる事態にも実は先例や予兆が存在することが多い以上、事前の分析・訓練によって対処する能力習慣を養うことは可能で、また必要でもある(例:避難訓練・疾病予防策)。
また、外国語教育が他分野の教育と同じく、就職・昇進などの実利を追及するという面を有する以上、一般教養・専門分野の知識技能の吸収を可能にする学力の一環として語彙は必須となり(この点で語彙は数学の公式にも等しい)、その中に日常会話・ニュース等での使用頻度が低いものが多く含まれるのは当然である。
しかしこのような反論は正論ではあるが、当該ジャパンタイムズ記事に対して反論を並べることに、さほど意義はないと私は考える。なぜなら、多くの反論が可能ではあっても、当該ジャパンタイムズ記事が、英検に象徴される日本の英語教育の問題点を、不充分不適切な表現ながらも指摘しているのは確かだからである。
その問題点とは何か。当該ジャパンタイムズ記事は「読み書きへの偏重・話す書くことへの軽視」とも読めるが、その主張を私は部分的には認めたく思う。
というのは、そもそも英検に象徴される日本の英語教育の問題点は、読み書きに重点を置いていることにあるのではない。読み書きは重要な言語能力であり、話す聞く能力と等価である。
母国語ではない言語を学ぶにあたって、読み書きを優先し、話す聞くを学ぶ前提手段とすることは理に適っている。よって、日本の英語教育が読み書きを重視していることは間違ってはいない。
あくまでも個人的な経験に基づく私見だが、問題点は、せっかく学校教育で習得した低からぬ英語の読み書き能力が、聞く話す能力を欠いてしまっているがために、職業の中ではほとんど実用性を持ちえないことにこそある。例えば、ビジネス英語の読み書きが出来ても、ビジネス英会話が出来ないために、ビジネスで英語を活用できていない人は多いと私は推察している。
アメリカ在住の日本人ビジネスマンが、ネイティブ以上の英語の読み書き能力を称賛されても、英語のプレゼンテーションで苦心するエピソードはよく聞く。医学部受験のために英語を猛勉強した医学生が、英語力に自信がないと話すのも私は聞いた。このように、優秀な人材が英語能力を発揮しきれないことは、大きな損失だといえる。
しかし、読み書きと別個に英会話の学習を大量に課すのは負担が大きく、効率も悪い。
そこで、読み書きできるようになった英語表現を聞き話せるように訓練するという教育方法が良いと私は考えている。
つまり、4技能を一つの科目に統合し、一つの教材で学習するという方法である。例えば、既に導入されているが、教材に音声をつけることを徹底する。
また、テストで筆記試験と面接試験を一本化し、読んで書くことが出来た内容を話して聞けるか、話して聞くことが出来た内容を読んで書くことが出来るか、で採点する方法である。
従来は、学校教育で習得した読み書き能力を話す聞く能力にまで高めることは、個人の努力に委ねられてきた。しかし、読み書き能力と話す聞く能力の分断はもはや、個々人の自己責任に帰しておくには、重大に過ぎる問題である。また、学校教育を終えた後では年齢的に手遅れにもなりうる。
英検に象徴される日本の英語教育は、このような能力の分断ゆえに人材が埋もれてしまうという弊害を取り除き、学校で習得する英語を生徒達が職業の中で実用的即戦力として使いこなせるようにするために、読み書き教育と話す聞く教育の統合に一刻も早く取り組むべきだと私は考える。
当該ジャパンタイムズ記事を読んで、私たちはこのことを真摯に認識するべきなのである。