社長の力量が足りないと社員は育たないのか? (2/3)
『愚者は(自分の)経験に学び、賢者は歴史(他人の経験)に学ぶ』とはドイツ首相ビスマルクの言葉ですが、日本のエレクトロニクス産業が凋落している状況から何を学ぶことができるでしょうか?
例えば、2006年から2017年で日本製の液晶テレビ生産量は100分の1に減少したと言います。パソコンや携帯電話も主流は海外メーカーのものになっています。なぜ、日本のエレクトロニクス産業は海外勢の後塵を拝しているのでしょうか?
この原因は様々な観点から分析をされていますが、代表的なシャープという企業で考察をしてみると、
「新しい萌芽を芽生えさせられなかったこと」が、経営が立ち行かなくなった原因という見方があります。シャープという企業はもともと、太陽電池、電卓など画期的な商品を生み出す力があるイノベーションに強い企業でした。新しいアイデアを生み出すために部門横断的なチームを組織させてもらえたり、自由闊達に次世代を担う研究をする風土があったことがその理由です。
それが、1996年に基礎研究を担う部門を閉鎖し、液晶への資源の集中を計った2000年代から未知の技術への探索を怠ったことで「技術革新ができなくなった」ということがあるようです。2000年代の初頭より「液晶事業はいずれ終焉を迎えるから次の未来製品を考えねばならない」という認識があったにもかかわらず、組織としての新たな挑戦への舵取りができなかったということです。なぜ、舵取りができなかったのでしょうか?
このヒントは生物学者の福岡伸一さん(有名な著書に「生物と無生物のあいだ」がある)が提唱されている「動的平衡」という概念にあるように思います。「動的平衡」を説明すると、人間の細胞は1年〜2年で全て入れ替わるそうですが、そのように時間の流れの中で変化をする(動く)ことによって、個体としての存在を保っているものが生命だということです。「動的平衡が生命である」という定義です。
この定義で考えると、琵琶湖だって生きているということになります。山川から水が流れ込み、また下流に向けて水を放出しているが、琵琶湖という存在は変わらない。琵琶湖の構成要素である水の中の生物たちも新たに生まれ、年老いて死ぬことで入れ変わっているが、その全体としての存在は保たれているということです。この流れ(平衡)が狂った時に生命は死に向かうということがイメージできるでしょうか?
これは、「組織という生命体」でも同じことが言えるかと思います。組織にはいくつか健全に循環をさせるべき流れがあります。例えば、「お金の流れ」「人財の流れ」「技術サービスの流れ」です。先ほどのシャープの事例では、技術・サービスの循環が途絶えたことで、生命力が落ちてしまったのです。基礎研究にはお金がかかります。成功の確率は高くありません。既存事業で勝ちパターンが確立し、儲けたお金をその事業に再投資し、規模を拡大して稼ぎを増やしていくことに目を奪われます。しかしそれは、短期的には堅実に見えて、中長期的には不安定な経営なのです。大局観をもって新たな挑戦に投資をしていく流れを作ることが経営の本筋です。日本のエレクトロニクス産業の凋落の原因は、この大局観の欠如ではないか?と思います。
「人財の流れ」も健全に保てている企業は稀なように思います。組織の文化を体現している先輩が後輩を育て、自然と挑戦する人財、人の上に立てる人財が輩出されるチームを構築することが経営の役割です。しかし、偏った生産性向上によって社員の余白(成長したり育成に要する時間)を奪い、組織の生命力を奪っているケースはないでしょうか?
また、「国の経済」も生命体であると言えるかもしれません。新しい社会の課題を解決する企業が生まれ、役割を終えた企業は廃業する。もしくは次世代に必要なサービスを生み出して存続する。その生成と死滅によって、経済全体の存在が保たれているのであれば、生命です。健全な生命力を維持するためには、この動き(循環)を適切に保つことが必要です。国の助成金の使い方はどうでしょう?役目を終えた企業を延命するために用いるものではないはずです。未来の社会をより良くする可能性の高い事業に投資をすべきです。
そんな大局観を持ったリーダー、事業の目利きのできるリーダー、誇りを持って事業を推進できるリーダーによる経営が求められているように思います。そういう大局観を養う上でも「組織ライフサイクル」を勉強されてみてはいかがでしょうか?
→組織診断「IIOSS」