令和七年、八月の初めに

テーマ:小田原漂情

 先日、中学1年の時に書いた夏休みの旅行の作文のことを取り上げました。振り返ってみると、今から50年前のことであります。また、その時同級生だった親友と、つい2日ほど前、SNS上でのことですが「半世紀の付き合いだね」と喜び合いました。

 すなわち、私は今、言問学舎にいる生徒の中の中学1年生とは50歳、そして小学生たちとはそれ以上、年齢が離れていることになります。ずいぶん前から、年少の子たちは孫のように感じられていますし、今でも付き合いのある教え子たちに、30歳、40歳若年の人たちもいるのですが、やはり50歳、半世紀分年齢が違うということは、大きな節目だと感じられます。

 もちろん日々、今現在が学齢期である令和の子たちを迎えていて、個人の感慨にふけっているばかりではありません。教えるということを考える上で、次のことを根底に据え、教育のあり方を模索しつつ、実践しています。

 まず例として掲げる、万葉集の1300年前に歌われている親子の情愛は、現代もまったく変わらぬものでしょう。

 父母が頭かきなで幸(さ)くあれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる
(防人として旅立つ前、両親が「元気でいろよ」と頭をかき撫でながら言ってくれた言葉が、今も耳の底に残っていて、忘れられない。)

 また宇治拾遺物語の「ちごの空寝」の、ぼたもちができたと一度呼ばれてすぐ返事をするのは格好悪いから、二度目に返事をしようと思っていて、機を逸してしまったちご(幼い子)の話が800年前ですが、あらわしている言葉の形は変わっていても、人の心の動きは現在とまったく変わらないのです。これは人間の真実、真理でありましょうし、それを伝えるのが言葉、すなわち国語の力であることも、また疑いのない真理だと言えるでしょう(メール、チャットでも、みな日本語で何かを書いていますね)。

 奇しくも、つい先日中3生女子に、「先生も、昔から今みたいな性格じゃなくて、中学生の頃は同級生の女の子に、うまくあいさつができなかったんだよ」と話すと、間髪入れずに「今の中学生も似たようなものですよ」との返事が返って来ました。繰り返しますが、言葉の表面上の形や伝達の手段が変わっても、人の心は変わらないのであります。

 そして、学ぶこと、そのために教えることのどちらにも、形式の面では時とともに変化、進歩があるにしても、その本質は不変でしょう。変化、進歩と言えば、私も22年前に言問学舎を立ち上げた時のままの私ではないですし、言問学舎は「真の国語教育」で進化を遂げております。表面的、形骸的な新しさではなく、本質を深く掘り下げた教育の深層において、さらに磨き上げたものを、多くの子どもたちに提供すること、それが言問学舎の今後の方向性であり、使命であると考えました。

 8月になりましたが、言問学舎ではひきつづき、これからの夏期講習受講、無料体験授業、入塾・教育相談を歓迎しております。


岡崎城


国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
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小田原漂情
専門家

小田原漂情(学習塾塾長)

有限会社 言問学舎

<真の国語>とは?正解を見つける力ではなく、文章の本質を読みとり、自分の身に引きつけて、生きた考えを組み立てられる力のことです。それをすべての生徒が「わかる」ように、かつ「楽しく」指導します。

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