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例年のことですが、本日10月26日は灰田勝彦先生のご命日でありますので、言問学舎塾長ブログの文章を、常体のまま転載させていただきます。
今日10月26日は、灰田勝彦先生のご命日である。お亡くなりになったのは昭和57(1982)年、私が大学2年生の時だったから、今年で42年を数えることとなった。先日、16日の有紀彦先生のご命日に、「灰田メロディーは永遠に」を書かせていただいたので、今日はその有紀彦先生ご作曲の灰田メロディーの傑作「アロハ東京」(昭和25年/1950年。門田ゆたか作詞)を歌わせていただいた。
旧著で恐縮だが、先般もご紹介した拙著『遠い道、竝に灰田先生』の中で「アロハ東京」を紹介している稿の一部を引用させていただく。
〈 (浜松町界隈の第一京浜と東京タワーについてふれた文章につづけて)この歌が作られた時、無論東京タワーはまだ出来ていないが、それはさておき、東京の中でも浜松町あたりの第一京浜付近の感じがもっともこの歌の雰囲気に合っていると思う。一帯にときおり訪れる不思議な静寂が、ものがなしいスチールギターの伴奏を呼びおこすのかも知れない。ハワイアンを日本に持ちこんだ灰田先生ご兄弟には、日本の流行歌に新味を加えた通称「ハワイアン流行歌」の諸作品があるが(先述「ただ一つの花」他)、この歌はその代表的なもののひとつである。昭和二十五年(一九五〇)一月。〉 注)引用文中、(先述「ただ一つの花」他)の「先述」は同書の中で「アロハ東京」の前に「ただ一つの花」を紹介していることを示しているが、YouTubeでも、昨年この「ただ一つの花」を歌い、公開している。
『遠い道、竝に灰田先生』小田原漂情著 1992年10月26日画文堂版より引用
ハワイアン風の曲であるから、哀愁を帯びたメロディーである。オリジナル原盤ではスチールギターの伴奏が印象的だ。収録されているLPレコード(ビクター創業50周年記念 オリジナル原版による懐しの歌声シリーズ)に記載はないものの、当時の状況から考えて、そのスチールギターの奏者は有紀彦先生だろうと思われる。私の年代では、有紀彦先生がステージで演奏なさっているお姿を拝見したのは、勝彦先生の特集のような番組などのわずかな機会に過ぎないが、オリジナル原版から採られたレコードやCDでは、スチールギターの魅力を知り尽くしておられたのであろうすばらしい音色を、たくさん聞かせていただいている。「灰田メロディー」は、有紀彦先生の旋律、勝彦先生の歌声、さらに有紀彦先生のスチールギターがそろってこそ、最高の魅力を発揮するのではないだろうか。私が二十歳の頃から愛してやまない「森の小径」も、前奏の有紀彦先生のスチールギターから、甘い夢の世界に引きこまれるのである。
「灰田先生の歌を覚えたい、歌いたい」ということが、しるべを持たない若者だった私の人生のしるべとなり、「人間性の明るさ」というかけがえのないものまでもたらしていただいたということを、前掲書で述べているし、本稿でも折にふれ、語らせていただいた。しかしもっと端的に、美しい灰田メロディーと出会い、一心に歌わせていただいた私の人生そのものが、有紀彦先生、勝彦先生の大きな大きな恵みに支えられた、両先生の音楽の賜物だったのではないかと思えてくる。なお、先日有紀彦先生のお嬢様と電話でお話しさせていただく機会があり、「アロハ東京」を歌わせていただくことを申し上げたところ、お喜び下さった。
そのささやかなご恩返しとして、「灰田メロディーは永遠に」ということを、これからもずっと歌いつづけ、語りつづける一人でありつづけたい。動画の中でも語らせていただいたが、そのことを、今年、令和6(2024)年の誓いとして、筆をおく。
アロハ東京 小田原漂情歌
令和6(2024)年10月26日
小田原漂情