三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
例年この8月6日は、言問学舎ホームページの塾長ブログの記事を転載させていただいています。今年は文体を敬体にした記述を掲載する媒体もありますが、本コラムでは日付、署名入りの記事と致しますので、常体のまま転載することをお許し下さい。
お恥ずかしい話だが、手先が器用な方ではない。子どもの頃は「不器用」と言った方が正しかった。だから、61歳6ヶ月になる今日のこの日まで、鶴(折り鶴)を折ったことがなかった。もちろん子どもの頃折り方を教えてもらったことはあるのだが、単純な二つ折りから先へ進めず、挫折した、というより投げ出したのであった。
しかし昨年『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』を刊行するに当たり、広島平和記念資料館所蔵(展示)の佐々木禎子さんの写真を掲載させていただくこととなって、これではいけないと思い至った。何よりもまず、禎子さんが精一杯の願いをこめて折られたという(鶴を千羽折れば病気が治る、という言い伝えによるという)鶴を、自分で折ってみなければ。そう考えたのである。
昨年は、そもそもが超繁忙期であり、内容が重く許諾申請等も煩雑な出版物2点(いま1点は『スーパー読解「舞姫」』)を終えたせわしさと疲れもあって、「みずから鶴を折る」という目標を実行することはできなかった。それがやむを得ないことだったとすれば、今年こそ、私自身が鶴を折ることに挑戦しなければならない。思い立ったのは比較的早い時期だったが、実際のところは4日日曜日から、家内に教えてもらいながら、見よう見まねで折ってみることにした。
やってみると、何か所かわかりにくいところがあり、子どもの頃に挫折したのはここだろう、と察しがついた。しかし今回は投げ出すわけにいかない。折り方のマニュアルも用意し、わからないところは塾生の女子高校生たちにも教えを乞うて、今日6日にようやく何とか折ることのできたのが、写真のものである。不細工な点はおゆるしいただきたい。
鶴を折る過程で、二箇所、難しいところがある。禎子さんは、薬やキャラメルの包み紙などで鶴を折られたと読んだことがあるが、そのように小さな紙で、よくその箇所が折れるものだと感嘆した。また、鶴を折る行為に病気回復の祈りをこめた禎子さんのお心の一端が、わかるような気がした。いや、それはおこがましい。禎子さんのことを多少なりとも書かせていただく立場として、鶴を折るという行為を身につけることは避けて通れないことであり、ようやくその端緒についた、それだけのことにすぎないのだ。
「鶴を折る」ことを、今後私が禎子さんと広島、長崎の原爆の犠牲者のことを語り、伝える営為の中の不可欠の要素としよう。そのことを、今朝8時から広島で行なわれた「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」を例年通りに視聴しながら決意した。今日新しく奉納された名簿の、この一年間に亡くなられた方の人数は5,079人、名簿にお名前のある死没者の総数は344,306人になったとのことだ。また、「被爆者」の平均年齢が85、5歳を超えたという。受け継がなければならないわれわれに、重い覚悟が求められる。
『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』中、「忘れまい、八月六日の広島の朝を」で、小・中・高生に広島のことを伝えています
「長崎の鐘・新しき」小田原漂情歌
令和6(2024)年8月6日
小田原漂情