三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
8月9日、78年前に長崎に原爆に落とされた日です。例年のことですが、言問学舎塾長ブログの記事を常体のまま転載させていただきます。
6日に掲載した「忘れまい、八月六日の広島の朝を」と同じく、今日の拙文のタイトルが、今般刊行した『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』中で長崎の原爆のことを書いた文章と同題であることをお断りし、お詫びを申し上げたい。お詫びというのは、毎年記しているこの8月9日という大事な日のブログに、冒頭からPRめいた言葉を置くことについてである。
しかしながら今回の出版は、二十年にわたって提唱、実践しつづけて来た「真の国語」教育を体現するシリーズの内容上の完結篇であり、それゆえ子どもたちに、「真の国語」を学びつつ過去の出来事を知り、考える力を養ってもらうという大きな目的のもとに、広島、長崎の原爆と戦没学徒について書かせていただいた、言わば「真の国語」の現時点での集大成の位置づけのものである。だから今日、長崎の犠牲者に黙禱を捧げて考えたことを述べる上でこの言葉をお借りすることに、迷いはない。言い換えれば今回の営為は、私が過去に思考、表現し、また言問学舎で活動して来たことのすべてがおのずと収斂(しゅうれん)したものであり、子どもたちに長崎の方々の思いをよりよく理解してもらうために最善の道と考えて、今回の拙文と前述の書籍中の小文のタイトルに、「長崎を最後の被爆地に」を使わせていただいた。
また、この言葉を小文の章題に使わせていただいたのは、この言葉こそが、「1945年8月9日以降、二度と核兵器が使用されることはなかった。」と人類史に記されるべき、究極の核廃絶のための目標だと考えられるからだ。世界から核兵器が廃絶された日、その歴史を綴った文章に、「1945年8月9日以降、二度と核兵器が使用されることはなかった。」という一文が存在する、それこそが、長崎と広島で原爆のために亡くなった犠牲者と、長く苦しんで来られた被爆者と家族(遺族)がもっとも望んでおられることではないか。そう考えると、「長崎を最後の被爆地に」という訴えを、核兵器使用の危機が取り沙汰される今こそ、日本と日本人が声高に呼びかけるべきではないのかと思われる。
今日、2023年8月9日の長崎平和祈念式典(長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典)は、折から接近中の台風6号のために、平和公園ではなく屋内(出島メッセ)でとり行なわれた。鈴木史朗長崎市長は長崎平和宣言の冒頭、16歳で被爆し背中に大やけどを負われ、その写真をニューヨークの国連本部で掲げながら証言をなさった谷口稜曄(すみてる)さんの体験談を伝えた上で、その谷口さんの残された次の言葉を紹介した。
「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。」
「忘却」をゆるさぬために、私たちにもできること、しなければならないことがある。谷口さんが国連本部での証言でご自身の写真を掲げられた際、その刹那の谷口さんのお顔を、新聞一面の報道写真で拝見したのではあるが、私は忘れることがない(2010年のことであり、谷口さんは2017年にご逝去)。
また今日の式典では、「平和への誓い」を被爆者代表の工藤武子さんが読み上げられた。工藤さんは父、母、姉、弟、妹の5人をがんで失い、ご自身も肺がん手術の経験があるという(妹さんは被爆当時母の胎内にいた「体内被曝者」で、2003年に56歳で亡くなられたとのこと)。ご自身を含め6人の家族ががんに冒されたという原爆の酷さ、非人道的なありようを、決して忘却させてはならない。
また工藤さんのお父さんは、被爆14年後に肝臓がんの診断を受け、54歳で亡くなられるときには「神様、私の家族をお守り下さい」と言い残されたのだという。その願いを踏みにじって家族をがんに引き込んだ原爆の悪辣さを、忘れてはならないはずである。
かねて、当ブログでは「一人の力は小さくとも、行動することに意義がある。」ことを述べて来た。また、広島、長崎の原爆のことを子どもたちに本の中で伝えることも、幾度かお知らせして来た。少部数の刊行ではあるが、お伝えした通り『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』をこのほど刊行したことをご報告し、言問学舎二十年の歩みのけじめとさせていただいて、今年の8月9日の営みとしたい。
長崎県下は、5市町に避難指示が、長崎市を含め多くの市町に「高齢者等避難」が発令されているようである。大きな災害が発生しないことを切に祈りながら、筆をおく。
令和5(2023)年8月9日
小田原漂情
★書籍のご紹介 マイベストプロ東京「国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力の完結編を出版しました!」
https://mbp-japan.com/tokyo/kotogaku/column/5142083/
★追悼の意を込め、昭和24(1949)年に藤山一郎先生がお歌いになった「長崎の鐘」(サトウハチロー作詞、古関裕而作曲)と「新しき」(永井隆作詞、藤山一郎作曲、1959年)を歌わせていただきました。本年9月19日まで、YouTube上で公開しておりました。書籍のDVDにも収録してあります(JASRAC、日本コロムビア許諾)。
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
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