2016年8月9日に
今日は77年前、長崎に原子爆弾が投下された日です。言問学舎ホームページの塾長ブログをそのまま引用させていただきます。
今日は朝から快晴で、長崎の気温は11時前から30度を超えていたようだ。10時40分から平和公園で開かれた長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の中継を、岸田首相の挨拶まで確認してから出社した。午前の授業はなしにしていたが、13時からの授業を自分で持っていたためである。
今日の長崎の平和祈念式典では、今こそ厳しく受けとめなければならない言葉がふたつあった。
まず開会に先立って紹介され、式典の冒頭で歌われた、「被爆者歌う会ひまわり」の「もう二度と」の歌詞の中にある「もう二度とつくらないで 私たち被爆者を」という歌詞が、そのひとつである。平均年齢が84歳を越えている被爆者の方々(「ひまわり」の平均年齢は81歳)が、みずから「もう二度と、自分たちと同じ苦しみを持つ存在を作らないで欲しい」と訴えておられるのだ。しかもこの歌は、被爆者団体からの「被爆者を励ます歌を作ってほしい」との声を受けて作られたものだという。だから赤裸々に、「もう二度と作らないで わたしたち被爆者を」と歌い上げているのである。
そして田上富久市長による長崎平和宣言は、冒頭、1956年に初めて長崎で開かれた原水爆禁止世界大会で、登壇された被爆者の渡辺千恵子さん(勤労動員中に被爆され、下半身不随となられた)が、「世界の皆さん、どうぞ私を写して下さい。そして二度と私を作らないで下さい。」と澄んだ声で述べられたことを紹介した。学徒動員先の工場で崩れ落ちた鉄骨の下敷きになったために半身不随となったのが、16歳の時だったという。入場時には「写真に撮るのはやめろ!」「見世物じゃないぞ!」という声が上がり、会場は騒然となったそうだが、そのような場でうら若い女性が、自分を撮影し、二度と自分のような犠牲者をつくらないようにと呼びかけたのだという。
「被爆の実相」という言葉が、近年広島や長崎の式典で多く聞かれる。今日の長崎平和宣言で語られた渡辺千恵子さんの例もまた、まがうかたなき「実相」のひとつだろう。そして長崎平和宣言は、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けると宣言した。
この「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、今ほど重く切実な意味を持つ時はない。言うまでもなく、ロシアのウクライナ侵攻に際し、プーチン大統領が核使用をちらつかせてウクライナを、また世界を恫喝したからである。もう二度と、「私を」、「わたしたちを」つくらないで下さい、という訴えを、まず誰よりもわれわれ日本人が真摯に受け止めなければならない。そして被爆の「実相」を知り、まだ知らない人たちに知らしめるよう、力を尽くさなければならないのだ。
今日の岸田首相の挨拶は、「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と訴え続けてまいります、と述べたあと、「長崎を最後の被爆地とし続けなければなりません」、「被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります」と明言した。これまでの首相の挨拶とは明確に異なるものである。長崎を最後の被爆地とするために、首相として、日本国として、どのように現実的な行動を取るのか、注視してゆく必要がある。
今年の春、長崎を27年ぶりに訪れた。知人を介して原水爆禁止長崎会議のお仕事に携わっておられる方にご案内いただくことができ、今日の平和祈念式典で「あの子」を生徒たちが歌った山里小学校、被爆校舎を残している城山小学校も見学することができた(「あの子」は毎年交代で、山里小学校と城山小学校の生徒たちが歌うのだという)。城山小学校の被爆校舎ははじめての見学であったが、ご案内のおかげで山里小学校の、「あの子」の歌碑なども見学、撮影することができた。
山里小学校 「あの子」歌碑
城山小学校 被爆校舎
長崎平和宣言は、核兵器が存在していること自体が、使用される危険と不可分のものであることを明言した。だから核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だというのである。その通りだと思う。従って、私は昨今国内で言われている「核共有」という考え方には、明確に反対する。
令和4(2022)年8月9日
小田原漂情