三陸の鉄道に捧げる頌(オード)の完結作『志津川の海』を書きました!
8月15日、終戦(敗戦)の日です。今日も言問学舎ホームページの塾長ブログの記事を転載させていただきます。常体のままの文章であることを、何卒おゆるし下さい。
今日は正午の時報とともに、全国戦没者追悼式のテレビ中継にあわせて黙禱した。昨年、戦後75年の時が過ぎ去り、さらなる四半世紀に向けての見解を述べたのだが、また1年が過ぎ、今年は戦後76年を数える年となった。今日に先立つ8月6日の広島と、9日の長崎の平和祈念式に際しては、被爆された方の総数が14万人を下回ったということが報じられていた。あの戦争そのものを知る年代の方たちも、同様に少なくなっていることが明白だということを思い、今年はまたあらたに深く考えさせられた。
単純に年齢の数字だけで考えても、1945年8月15日の終戦時に生まれていた方が76歳以上、ある程度の記憶のある方ならばおそらく80歳以上、ということになる。長崎の平和祈念式典では92歳の被爆者の女性が「平和への誓い」を語られ、長崎市長による長崎平和宣言では、93歳で亡くなられた修道士の言葉が紹介された。終戦時に青年期以上の年齢だった方たちは90歳を越えられているのだから、広島でも長崎でも、若い世代の「受け継ぐ覚悟」に焦点が当てられていたことは、大事なことだと思う。
そしてまた私自身も、戦後50年の年から「あの戦争について書く」ことを自らに課して来て、昨年さらに一歩あゆみを進めることを、表明した身である。年齢から言えば私も現在58歳であり、戦後76年、その年に生まれた方が現在76歳であるという年代の計算の上から言えば、すでに「上の方の年代」に入っていることは間違いない。直接戦争を体験したわけではないけれど、われわれの国の過去の戦争に関しては、直接経験した方々の率直な思いを多く見聞して来た年齢である。しかも年齢ばかりでなく、どのようなことを見聞し、何を受け止めたかということから言えば、多くの方の痛切な思いを、肉親や短歌の師と先輩方、さらに文学作品や流行歌、そのほか歴史を伝える文献・資料(この点では、特に昭和40、50年代のもの)などと、真摯に対峙してきた自負をも持つものである。
「深い反省」という表現を、今日の陛下のお言葉からもはっきりお伺いすることができた。時の政権担当者の立場や主観で、そのことについて姿勢が左右されることがあってはなるまいと、私は長く考えつづけて来た。しかし誰が政権を担当するかの仕組みと結果次第で、それがないがしろにされるのであれば、政権担当者の発する言葉に、もはや大きな意味はあるまい。私たち国民一人一人が、歴史と向き合い、現在を越えた未来に対して希望と責任を持ちつづけ、行動することにしか依るすべはないのだと、考えさせられたたこの日であった。
令和3年(2021年)8月15日
小田原漂情