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本日、10月16日に関するコラムとして、言問学舎塾長ブログ「言問ねこ塾長日記」の文章を、常体のまま掲載させていただきます。ふだんと文末表現などが異なる点、何卒ご容赦下さい。
今日10月16日は、故灰田有紀彦先生のご命日である。今年は特に、先生が作曲され、弟の勝彦先生が歌われた、『鈴懸の径』と『森の小径』のことを、お話ししたい。
作詞はいずれも佐伯孝夫氏で、『鈴懸の径』は昭和17年(1942年)、『森の小径』が昭和15年(1940年)に発売された。どちらも「灰田メロディー」を代表する大ヒット曲であり、また長く歌い継ぐべき、美しい佳曲である。
さて、この2曲の灰田メロディーには、現在のわれわれにとって深い示唆をふくむ、かなしい歴史が付随している。多少とも客観的な記述とするため、私自身の旧著で恐縮ではあるが、1992年10月刊行の『遠い道、竝に灰田先生』より、『森の小径』についての一節を引用させていただきたい。
<今では書名も著者もわからなくなってしまったが、大学の図書館で見つけたある本に、次のような意味のことが書かれていた。「ある意味で、もっとも灰田勝彦らしいと言える一曲。淡い夢さえも現実には見ることを許されなかった戦時下の若者たちが、ひそかに愛唱したという。ある飛行兵は毎日わずかな空き時間に、基地のはずれでひっそりこの歌を口ずさみ、飛んで行って、そして再び帰らなかった。」>
『森の小径』は、美しく清らかな、淡い恋の歌である。日中戦争から太平洋戦争へと局面が進み、戦況がきびしくなるにつれ、国内でも物資の不足、生活の窮乏が著しくなり、当たり前の男女の交際なども許されない風潮になって行った。引用した本の飛行兵の例などは、異性にあこがれの気持ちを持つことさえ押さえられ、『森の小径』という歌の中に、切ない思いをせめても託していたのである。このような青少年は数多く存在したし、歌われた灰田勝彦先生は、あの歌で救いのない道を生きる若者が少しでも夢や希望を持ってくれたのだとしたら、歌手になってよかったし、歌手として本望だったと述べられている(前掲書および「ビッグショー/青年66歳」より)。
『鈴懸の径』は、立教大学構内に勝彦先生の筆跡の碑が現存しており、立教大学の鈴懸の径をテーマに青春の友情を歌っている。各種のアレンジによって、世界的にも広く知られたメロディーである。そしてこの歌も、「友情」をモチーフとして、死の待つ戦線へ出撃して行く往時の若者たちに愛唱されたのである。どちらの曲も美しいメロディーに、美しい言葉がのせられて、多くの若人たち(その方たちは私たちの先人である)の心をつかんだ。そしてその歌への思いを胸に、将来ある若い先人たちが、戦争で不幸な死を遂げられたのである。
あらためて述べるまでもなく、現在わが国をとりまく情勢は予断をゆるさない。その中で、「戦争がはじまるのは止むを得ない」などの言葉も、目にすることがある。しかし止むを得ない、しかたがないなどと皆が考えてはいけない。もしそうなってしまったら、自分の愛する人が命を奪われ、生活基盤も失われ、当然自分自身の命さえ、失われるかも知れないのだ。当たり前のことを、当たり前に発言できる社会の中で、発言すべきことを発言しなければならない。灰田有紀彦先生のご命日に、今年はこのことを述べさせていただきたい。