2016年8月9日に
5月の初めから、詩集『智恵子抄』に収められている「智恵子の半生」の朗読をつづけてまいりましたが、このほど全4回の朗読、公開を終えました。
この、「智恵子の半生」の結びの部分で注目すべきは、智恵子さんがかつて油絵を断念し、断たれたかに思われた彼女の美へのこだわりが、紙絵政策によって成就した、とされている点でしょう。原文を引用します。
<(前略)精神は分裂しながらも手は曾て油絵具で成し遂げ得なかったものを切紙によつて楽しく成就したかの感がある。百を以て数へる枚数の彼女の作った切抜絵は、まったく彼女のゆたかな詩であり、生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、ユウモアであり、また微妙な愛憐の情の訴でもある。彼女は此所に実に健康に生きてゐる。彼女はそれを訪問した私に見せるのが何よりもうれしさうであつた。私がそれを見てゐる間、彼女は如何にも幸福さうに微笑したり、お辞儀したりしてゐた。(後略)>
わたくし自身も、この「智恵子の半生」の全文を朗読させていただき、改めて、言葉と文学の持つ力の大きさ、深さを、思いみた気がしています。
なお「半生」とは、文字通り「人生の半分」の意であると辞書には書かれており、前半生、後半生というような使い方をするほか、現に生きている人の人生の一半を指すことが多い言葉だと思われます。それを、智恵子さんの生涯をつづったこの文章のタイトルにされたのは、もちろん光太郎さんの率直な思いとして、智恵子さんを、「すでに世を去った人」としたくなかったのだとも思われますが、より以上に、「智恵子は個的存在を失ふ事によつて却て私にとつては普遍的存在となつたのである事を痛感し」、「言はば彼女は私と偕(とも)にある者となり」という、のちの「元素智恵子」の「元素智恵子は今でもなほ/わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ」に通ずるところの、「ともにある存在」としてのあり方が、大きな理由なのではないかと感じます。
秋以降、関連の詩作品や文章の朗読を、つづけたいと思います。