決してあきらめずに
2016年10月16日。今日は、ハワイのお生まれであり、日本にはじめてハワイアンを紹介されて「ハワイアンの父」と今も呼ばれる灰田有紀彦(晴彦)先生のご命日です。亡くなられたのは、1986年(昭和61年)のこの日でした。その4年前の10月26日には、弟の灰田勝彦先生が先に旅立たれており、兄弟愛で知られたお二人が同じ10月、10日ちがいで鬼籍に入られたことは、灰田ファンにとってはまことに悲しく、そして印象深いことでありました。
亡くなられて30年という節目ですから、聞き知ったことをつづらせていただくのも、ご供養としておゆるしいただけるでしょうか。有紀彦先生は、天性の音感で『森の小径』『鈴懸の径』などのうつくしいメロディーを書き上げられる一方、ときにそそっかしい失敗なども、なさったということです。コンサートで勝彦先生が次に歌う曲の題名が紹介されたあと、まったく違う曲の前奏をはじめられたということなどが、『灰田有紀彦/勝彦 鈴懸の径』(早津敏彦著/サンクリエイト)に紹介されています。そんな時、弟の勝彦先生は、「兄貴のやつ、またやりやがったな」と、苦笑いをしながら有紀彦先生を見つめられていたそうです。
以前にも書きましたたが、立教大学の構内には、「鈴懸の径」の歌碑があります。「鈴懸の径」のタイトルの文字は、勝彦先生のお手になるものです。この日の除幕式は、1982年(昭和57年)の11月3日に行なわれました。本来、そこには勝彦先生が臨席されるはずでしたが、直前の10月26日に勝彦先生は亡くなられ、除幕式の主役は悲しみの中で有紀彦先生がつとめられました。私は過去に4回、この碑にお詣りしております。願わくは立教大学に在籍する方、足を運ばれる方々には、この碑の前でひととき昔日を偲んでいただきたいものです。
私は毎年、有紀彦先生と勝彦先生のご命日に、ブログで記事を書かせていただいています。勝彦先生のお墓は、自宅から言問学舎への通勤経路途上にあるため毎年ご命日にお墓参りをしているのですが、有紀彦先生のお墓は埼玉県にあるので、一度、お嬢様にお連れいただいたきりです。私の青春時代を支えてくれた『森の小径』などのうつくしい旋律を送り出して下さった灰田有紀彦先生へのせめてもの感謝の思いとして、一文を認めた次第であります。
YouTube 小田原漂情 『森の小径』 https://www.youtube.com/watch?v=h8IxPAFxI9A
〃 『鈴懸の径』 https://www.youtube.com/watch?v=Je5CIwH3SqU
国語力に定評がある文京区の総合学習塾教師
小田原漂情
文京区の総合学習塾・言問学舎HP
[[言問学舎の生のすがたは、こちらの動画からもご覧いただけます!
http://www.youtube.com/watch?v=9d_nMZpDjbY&feature=youtu.be]]
[[国語の勉強をお手伝いする国語専門サイト・国語力.com
http://www.kokugoryoku.com]]